ARTHUR-AQUAMARINE's MEMO

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TOP ≫ 《倫理》_Chap.2_《02古代中国の思想》
TAG ≫ 《倫理》_Chap.2_《02古代中国の思想》
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◇ 02 古代中国の思想

  • 孔子の「仁」の特色を、忠恕、克己復礼に即して理解しよう。
  • 孟子の性善説と荀子の性悪説を対比しよう。
  • 老子の無為自然と荘子の運命随順の共通点を考えよう。

① 諸子百家

諸子百家
 春秋・戦国時代 ※(1)の中国では、諸侯 ※(2)が天下の覇権を競う、不安定な政治情勢が続いた。各諸侯は生き残りをかけて有能な人材を全国から登用したが、その中から個性あるさまざまな思想家があらわれた。彼らを総称して諸子百家という。
儒家・道家
 諸子百家は、知識と学芸によって身を立て、諸国を遊説した ※(3)。彼らの中でも後世に大きな影響を与えたのが、孔子孟子をはじめとする儒家と、老子荘子をはじめとする道家である。
《 春秋・戦国時代の思想家 》
学派 主な思想家 思想の内容
儒家 孔子
孟子 性善説
荀子 性悪説
道家 老子 無為自然
荘子 万物斉同
法家 商鞅・韓非子
李斯
法治主義
墨家 墨子 兼愛非攻
名家 恵施・公孫竜 論理的思考
縦横家 蘇秦・張儀 外交策
(合縦策・連衡策)
兵家 孫子・呉氏 戦略・戦術論
農家 許行 農本主義
陰陽家 鄒衍 陰陽五行説
注釈
(1) 春秋・戦国時代
周の崩壊から秦の統一まで(紀元前770年~紀元前221年)の乱世の時代をいう。
(2) 諸侯
王から与えられた土地とその住人らを支配していた実力者。
(3) 諸子百家の遊説
思想家らが自らの教えを主張して言い争う様は「百家争鳴」という四字熟語で言い表せる。
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◇ 02 古代中国の思想

  • 孔子の「仁」の特色を、忠恕、克己復礼に即して理解しよう。
  • 孟子の性善説と荀子の性悪説を対比しよう。
  • 老子の無為自然と荘子の運命随順の共通点を考えよう。

② 儒家 (1) - 孔子の思想

 
 
 
 
 
仁の中核 ― 忠恕(ちゅうじょ)
(1) 仁とは何か
 孔子は人間が社会の中で正しく生きる規範をに求めた。仁は、人間として最も望ましいあり方である。
(2) 忠恕
 「仁とは何か」という弟子の質問に、孔子は「夫子の道は忠恕のみ」と応えた。「」は自分をあざむかない自己への誠実さであり、「」は他者へのまごころと思いやりである。
(3) 恕の精神
 恕の精神は、「己の欲せざるところは人に施すことなかれ ※(1)という言葉に示されている。恕は他者への親愛の情であり、相手の立場と心を理解しようとする思いやりである。具体的には、子の親に対する(こう)と、弟の兄に対する(てい)という家族の間で自然に発する親愛の情である。孔子は、この家族の親愛の情を、道徳と社会秩序の根底に据えようと考えた。
(4) 日常の修養としての仁
 仁は口でいうものではなく、行うものである。また、仁はうわべの形を取り繕うことではなく ※(2)、誠実な誠のまごころである。さらに、仁は決して私たちが体得することの不可能な徳ではなく、日々の努力と修養によって、万人が到達できるものである ※(3)。孔子は、仁の徳 ※(4)を人々が身につけて、それを広く社会全体に及ぼしていくとき、理想的な人間関係と社会秩序が実現すると考えた。
孔子の言葉(論語)
  • 子の曰く、『吾れ十有五にして学を志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず』
     孔子いわく、「15歳で学問を志し、30にして独立した立場に立ち、40にして自分の信じる道に迷いがなくなり、50にして天命をわきまえ、60にして人の言葉に素直に耳をかせるようになり、70をこえて徳が身に備わったことで、自分の思うままに振る舞っても、道から外れることがなくなった」。
  • 『夫子は、温・良・恭・倹・譲、以って之を得たり』『子は、温にして厳(はげ)し。威ありて猛からず。恭にして安し』『老者はこれを安んぜしめ、朋友はこれを信ぜしめ、小者はこれを懐めん』
     孔子は、温厚・善良・恭順・謙虚であり、温かさと厳しさ、威厳と親しみやすさのある、人生の達人である。また世代を通して安心され信頼される社会の大丈夫であった。
  • 『人のおのれを知らざるを患えず。人の知らざるを患う』
     人が自分を理解しないことは困ったことではない。自分が人を理解し分かろうとしないことこそ困ったことなのだ。
  • 『子、怪力乱神を語らず』
     孔子は、怪奇・暴力・鬼神など神秘的・超自然的なことを話題にしなかった。
  • 『いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん』
     生の意味さえ掴めていないというのに、どうして死の意味など語ることができるだろうか ※(5)
『論語の新研究』(宮崎市定・訳 岩波書店)
周の社会規範
 中国思想の源流といわれ、孔子も理想として掲げたのが、春秋・戦国時代の前に栄えた周の社会規範である。周では封建制の下、血縁関係と祖先崇拝を重視する家族道徳が重んじられ、祖先・血縁を同じくする宗族とそのあり方を定めた宗法を基本に、社会的秩序を維持していた。宗法では、祭りのための厳粛な礼式が定められていたが、孔子は、この家族道徳と宗法の礼式を、普遍的な理法(道理にかなった法則)へと高めていった。
仁の行為 ― 礼 ―
(1) 礼とは何か
 社会規範としての礼 ※(6)をふまえて、仁は人々の生活に根付いていくものと孔子は考えた。仁が行為として外面に表れたもの、また仁を表現し客観化したものがである。
(2) 「礼は形、形は心」
 礼は形だけを整えて行動するということではない。まず、まごころ(忠)と思いやり(恕)の心を尽くし、それが自然に行動や形(礼)となって表れることが大切だという。
(3) 克己
 礼の精神に立ち返るには、己を律すること(克己)が必要である。孔子は、私心に打ち勝ち我欲を克服することで普遍的な礼の精神に立ち返ることができると説いた。孔子のこの考えは次の言葉に見ることができる。
「己に克ちて礼に復(かえ)る(克己復礼)を仁と為す」
仁の体現者 ― 君子 ―
 君子 ※(7)は、孔子のいう理想的な人間像である。具体的には、学問や礼楽の教養を身につけ、知・仁・勇の徳を身につけた人である。また、君子は、人間として調和のとれた教養を身につけ、偏りのない徳としての中庸を身につけた人である ※(8)。君子は、修養によって人格を高める修己治人を心がける。そのような君子による政治が徳治主義である。
 
徳治主義
 
 
 
 
 孔子は、法治主義を退け、徳治主義を政治の理想としてかかげた。
法治主義批判
 法治主義とは、法と刑罰によって厳しく人々を取り締まる政治である。孔子が法治主義を退けたのは、「法律を整備して刑罰で規制すれば、民衆は違反さえしなければいいと思うようになり、不正を恥じることがなくなる」 ※(9)という理由からである。
徳治主義とは
 徳治主義は、人望のある指導者による理想の政治である。孔子は、望ましい徳を身につけた人物が治者となれば、その感化によって国が治まると考えた。「道徳や礼儀で内面から律すれば、誰もが不正を恥じ、正しい行動をとるようになる」 ※(10)のである。
修己治人
 徳治主義の基本は、為政者がまず己の道徳的修養を高める修己治人 ※(11)にある。自らの行いを正しくすれば、そのことで人々を感化し、命令を下さなくてもよい政治が自然に行われる。また、政治の指導者は、修養に努めることで、政治の重責を担う民衆への責任感と気概を身につけることができる。
 
学問と教育
 
 
 
 
孔子の学問観
(1) 学ぶ楽しさ・求道の覚悟
 孔子は、論語の冒頭で、「学んでは適当な時期におさらいをするのは、いかにもうれしいことである」 ※(12)と学問を学ぶ楽しさを語っている。また、「その日の朝に真理を知り得たとしたら、同じ日の夕暮に死んでも本望である」 ※(13)と述べ、求道の覚悟を示している。
(2) 温故知新
 孔子は礼の専門家として世に出た。孔子の学問の特色は、伝統的な教養を身につけること、そして、古いことを研究してそこから新しい知識を見いだすような学びの大切さを説いている点にある。これが、次にあげる名句である。
「故きを温めて新しさを知る」 = 温故知新
孔子の教育観
 孔子は、日々の学びを積み重ねる努力や修養により人格形成を図ろうとし ※(14)、自ら学ぶ意欲を高める啓発教育を重んじた ※(15)。そのためには、「自分でよく考え思索することと、先人と他人から謙虚に学ぶ事がともに必要である」 ※(16)と語った。さらに、切実に問い続けて学ぶことが「仁」に至る道 ※(17)だと説いてる。
仁の心 = 忠恕
仁の規範 = 克己複礼
仁の体現者 = 君子
仁の政治 = 徳治主義
徳治主義 … 仁と徳による政治。自ら恥じ入る。
法治主義 … 刑罰と法による政治。罪を恥じない。
注釈
孔子 - [551 B.C.~479 B.C.]
 幼くして両親と死別し、孤児となる。貧苦の中で熱い志をもって独学で勉学に励み、成人して、祖国である魯の国の役人となる。大司冦(だいしこう) = 司法大臣に任用されて政治改革を試みるが、政争にあい、辞職。以後、理想の政治(徳治主義)を実現すべく、弟子を伴い諸国を遊説するが、その成果もむなしく、帰国する。晩年は、弟子たちの教育に専念した。弟子たちによりその言行がまとめられた『論語』には、弟子たちとの対話が描かれている。
※ 『論語』
孔子の語録や弟子との対話がおさめられている。その人間論、道徳論、政治論、学問・修養論などにおける価値観は、その後の東アジアに大きな影響を与えた。また、儒家の聖典としてその後の儒学にも大きな影響を与え、『大学』『中庸』『孟子』とともに四書とよばれている。
(1) 己の欲せざるところは
人に施すことなかれ
「自分が人にしてもらいたくないことを人にしてはならない」ということ。
(2) 仁=うわべの形を取り繕わない
巧言令色、鮮(すく)なきかな仁
巧言
口先巧みに言葉を操ること。
令色
人にへつらうような愛想のよい顔つきのこと。
鮮し
少なしと同意。
(3) 仁は万人が到達できるもの
「仁遠からんや。我、仁を欲すれば、斯(ここ)に仁至る」
仁(=「真心」や「他人を思いやる気持ち」)を欲した時には既に心の中にあるもの。自分に正直になり他者を思いやる気持ちを持ちたいと思ったとき、誰の心の中にも既に仁がある。
(4) 仁の徳
学問や修養によって身に付いた道徳的な能力。知・仁・勇の三徳、仁・義・礼・知・信の五常などをさす。
(5) 生の意味を知らずに死を語れない
孔子は現実の政治や社会の中で人間としての徳ある生き方を探究し、死後の世界のことを語らなかった。
(6) 社会規範としての礼
礼は、天や神や祖先を祀る宗教儀礼を起源とし、政治・家族儀礼をはじめ習慣・法・制度などを含む幅広い社会規範をいう。
(7) 君子 ⇔ 小人(しょうじん)
君子に対し、それを志すことのない者を小人という。『論語』の中で、孔子は「君子は和して同せず、小人は同じて和せず」と語っている。すなわち、君子(有徳の士)は他人と調和(自分の主体性を保ちながら他人と協調すること)し、心から打ち解けて友達になるが、他人と妥協して同化する(うわべだけ同調し、他人に付き従って付和雷同する)ことはない。しかし、小人はその逆である。
(8) 君子 = 中庸の徳を身につけた者
「君子は器ならず」という『論語』の言葉にあるように、君子は器のように道具としての専門的能力だけを持ち合わせているのではなく、全人間的な人格を備えた人である。
(9) 法治 = 不正を恥じなくなる
これを導くに政を以てし、これを斉(ととの)うるに刑を以ってすれば、民免れて恥なし
(10) 徳治 = 不正を恥じる
これを導くに徳を以てし、これを斉うるに礼を以ってすれば、恥じありて且つ格(ただ)し
(11) 修己治人
朱子学では、このことを「修身斉家治国平天下(=天下を治めるには、まず自分の行いを正しくし、次に家庭を整え、次に国家を治め、そして天下を平和にすべきである)」と表現している。
(12) 学ぶ楽しさ
「学びて時にこれを習う、また喜ばしからずや」
(13) 朝真理を知ったら夕死んでも良い
(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり
孔子のいう「道」(真理)は、現実社会で人が人として守るべき規範を指す。
(14) 孔子の教育
孔子は、君子の育成をめざす教育に取り組み、諸侯の求めに応じて弟子の中から人材を紹介した。
(15) 自ら学ぶ意欲を高める
「墳せずんば啓せず、悱(ひ)せずんば発せず」
あと一歩の状態まで自分で頑張った者でなければ、教え導かない。頭で分かっているのだが旨く答えられない者でなければ、助けの言葉を発してやらない。
(16) 謙虚に学ぶ
「学びて思わざれば則ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則ち殆(あやう)し」
学んでも考えなければ(物事は)はっきりしない。考えても学ばなければ(独断に陥って)危険である。
「学ぶ」は「真似ぶ」が語源。「思う」は自分で考えをまとめること。
(17) 切実に問い続けて学ぶ
「博く学びて篤く志し説に問いて近く思う(博学而篤志、切問而近思)」
幅広く学んで、その志を強固にし、切実な問題として日常生活の中で実行する。
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◇ 02 古代中国の思想

  • 孔子の「仁」の特色を、忠恕、克己復礼に即して理解しよう。
  • 孟子の性善説と荀子の性悪説を対比しよう。
  • 老子の無為自然と荘子の運命随順の共通点を考えよう。

③ 儒家 (2) - 孟子の思想

孟子の人間観・道徳観
(1) 性善説
 孟子は、孔子の「仁」の教えと人間性の信頼に基づいて、人間の本質は善であるとする性善説を唱えた。孟子によれば、悪を行うのは、善なる本質を見失ったからである。
(2) 四端(したん)・四徳(しとく)
 人間は生まれながらにして惻隠の心羞悪の心辞譲の心是非の心という四つの徳の端緒(四端 ※(1)を備えている。孟子は、これら天与の心を養い育てれば、という四つの徳(四徳)を実現できると説いた ※(2)
四端
惻隠(そくいん)の心
他人の不幸を見過ごすことができない心
羞悪(しゅうお)の心
自分や他人の悪を恥じる心
辞譲(じじょう)の心
たがいに譲り合う心
是非(ぜひ)の心
善悪を見分ける心
《 四端と四徳 》
四端
(素質)

惻隠の心
(仁の端)
羞悪の心
(義の端)
辞譲の心
(礼の端)
是非の心
(智の端)
四徳
(人徳)

(同情心)
(正義感)
(倫理的規範)
(道徳的判断力)
(3) 浩然(こうぜん)の気・大丈夫
 四徳が達成されると、毅然とした力強い精神力(浩然の気)がみなぎってくる。この精神力は、「やましくなければ憂いも恐れもない」という良心に基づく勇気である。さらに、自分が正しいと確信できれば、たとえ敵が千万人いようと堂々と進んでいく ※(3)という壮大で積極的な気概を示すものでもある。こうした何ものにも動じない不動の精神力を身に付けた人を、孟子は大丈夫とよんで、理想の人間像とした。
(4) 五倫
 孟子は、社会秩序の確立をめざし、人間関係における5つの規範を示した。君臣の・父子の、夫婦の(男女の区別)、長幼の(兄弟間の序列)、朋友の(友人との間の信義と誠実)というこれら5つを合わせて人倫の道五倫)という。
孟子の政治・社会論
(1) 王道
 孟子は、仁義に基づいて人民を大切にする政治(王道)を求めた。それは、人民の幸福を第一に考える政治 ※(4)であり、権力や武力で人民を支配する政治(覇道)と対比して語られる ※(5)。人民の幸福とは、人々の生活や福祉の安定をさし、これらがかなえられてこそ社会は安定するという ※(6)
(2) 易姓革命
 孟子は、社会の安定のためには産業を発展させ、税を軽減し、土地を均等に配分し、商業を保護するなど、まず人民のための善政を行わなければならないと訴えた。社会が安定し国力が充実すれば、諸侯を心服することができ、容易に侵略も受けないと考えたのである。そして、民意に従わない覇道による政治を行う君主(暴君)は、天に見放され、追放されるという易姓革命 ※(7)の説を唱えた。
孟子の人間観・道徳観
性善説 = 人間の本質は善である。
四端惻隠の心羞悪の心辞譲の心是非の心
↓ 修養
四徳)の実現 → 浩然の気の獲得(= 大丈夫となる)
孟子の政治・社会論
人道の道五倫)による社会秩序の確立
王道を主張 ⇔ 覇道
易姓革命による暴君打倒の正当化
注釈
孟子 - [372 ? B.C.~289 ? B.C.]
 孔子の生国である魯の隣の鄒という小国に生まれる。恵まれない生活の中で母の厳しいしつけと励ましで勉学に励む。魯に遊学し、孔子の孫の子思の門人となる。孔子を慕い、その仁義の学説の復興に努め、諸国を遊説。乱世を救う王道政治の理想を説くが、戦国時代の諸侯には受け入れられなかった。晩年は故郷に戻り、弟子の教育に専念した。主著は門人による編纂の『孟子』
※ 孟子の勉学
母が孟子の教育のために3度住まいを移した「孟母三遷」や、学問を続ける大切さを教えた「断機の教え」の逸話がある。
(1) 四端
「端」とはきっかけや芽生えのこと。たとえば、井戸に落ちかかっている子供を黙って見過ごすことを忍びないと思う惻隠の心は、「仁」の心へと育っていくなど。
(2) 四徳
四徳に「」(誠実さ)を加えて、五常ともいう。
(3) 浩然の気
「自らかえりみて直くんば、千万人といえども我往かん」という孟子の言葉に示されている。
(4) 王道
王道とは、為政者自身が自己の徳を高めて人民を安心させるような政治である。
(5) 覇道
孟子をはじめ儒家が王道を説いたのに対し、法家は覇道による富国強兵と全国統一をめざした。
(6) 人々の生活の安定と社会の安定
「恒産(職業)ある者は恒心(正しい心)あり、恒産なきものは恒心なし」
(7) 易姓革命
支配者の姓が易(か)わり、天の意志(天命)が革まることから、易姓革命という。その方法には、徳のある者に平和的に位を譲る禅譲と、武力で討伐する放伐がある。
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◇ 02 古代中国の思想

  • 孔子の「仁」の特色を、忠恕、克己復礼に即して理解しよう。
  • 孟子の性善説と荀子の性悪説を対比しよう。
  • 老子の無為自然と荘子の運命随順の共通点を考えよう。

④ 儒家 (3) - 荀子の思想

《 孟子の性善説・荀子の性悪説 》
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性悪説
 荀子は、内乱と戦争の続発する社会に生き、「人の性(本性)は悪にして、その善なるものは偽(人為)なり」とする性悪説 ※(1)を主張し、厳格な社会規範としての礼と義をもって人々を教化しなければならない ※(2)と説いた。
礼治主義
 荀子は、人間の善意を強調する儒家の徳治主義では不十分だとして、内面的な心情の「仁」よりも外面的な規範としての「礼」の教育を重視し、礼治主義を唱えた。人間は自己の欲望を自ら律することは困難であるため、それを外面から規制することが必要であるが、荀子は「礼」に従うことで欲望を制御できると考えた ※(3)
注釈
荀子 - [298 ? B.C.~235 ? B.C.]
 戦国時代の思想家で斉や楚の王に仕える。それまでの諸学を摂取しつつ大成し、儒学を倫理学とともに政治学へ発展させた。
(1) 性悪説
韓非子や李斯をはじめとする法家思想に大きな影響を与えた。
(2) 礼と義
「人の性に従い人の情に従えば、必ず争奪に出で、犯文乱理に合いて暴に帰す」
(3) 礼に従い欲望を制御する
荀子は欲望を否定する禁欲主義ではない。
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◇ 02 古代中国の思想

  • 孔子の「仁」の特色を、忠恕、克己復礼に即して理解しよう。
  • 孟子の性善説と荀子の性悪説を対比しよう。
  • 老子の無為自然と荘子の運命随順の共通点を考えよう。

⑤ 儒家 (4) - 韓非子の思想

法治主義
 法と刑罰によって人民を統治する政治を法治主義といい、これをかかげる学派を総称して法家(ほうか)という。法家の代表的な思想家である韓非子は、儒家の徳治主義を批判し、仁義や情愛ではなく厳刑重罰こそ、人々を畏怖させ統治できる手段であるとして信賞必罰(しんしょうひつばつ) ※(1)を唱えた。
性悪説
 韓非子は荀子の性悪説に影響を受けた。しかし、荀子の性悪説が、教育や礼によって人は矯正できるとしたのに対し、韓非子は「君主は、人を信じれば破滅する。人の愛情は頼りにならず危険である」とする冷厳な性悪説を説いた点で、両者は異なっている。
注釈
韓非子 - [? B.C.~233 B.C.]
 韓の思想家。荀子に学び、国力の弱い韓の実情から法律、刑罰、信賞必罰を重視し、法家思想を究める。秦の始皇帝が『韓非子』を読み、帝国統一の思想として活用したことをうけて秦に赴くが、李斯の謀略にあい、毒死をとげた。
(1) 信賞必罰
功績に対しては必ず賞を与え、罪に対しては必ず罰を与えること。かつて法家の商鞅(しょうおう)は、政府の命令通りに木を植え替えた者には賞金を与え、悪行を犯した太子には、その後見人の鼻を削ぐという罰を与えたという。韓非子は、商鞅がこのようにして人心を掌握したという例をあげて、信賞必罰を主張した。
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◇ 02 古代中国の思想

  • 孔子の「仁」の特色を、忠恕、克己復礼に即して理解しよう。
  • 孟子の性善説と荀子の性悪説を対比しよう。
  • 老子の無為自然と荘子の運命随順の共通点を考えよう。

⑥ 墨家 - 墨子の思想

兼愛
 墨子は、儒家の家族道徳は身近なものを愛する差別的な別愛であると批判し、無差別平等の兼愛 ※(1)を説いた。墨子に始まる、兼愛を説く学派を総称して墨家 ※(2)という。
兼愛交利説(けんあいこうりせつ)
 また、墨子は分けへだてなく人を愛する兼愛のもとに、人々が互いに利益をもたらしあう兼愛交利説 ※(3)を展開した。
非攻
 兼愛交利と真っ向から対立するものが戦争である。墨子は非攻 ※(4)を説いて、国家間の戦争を否定する反戦思想を主張した。
荀子(儒家)
礼治主義
儒家の徳治主義をさらに追及
性悪説を主張
韓非子(法家)
法治主義
儒家の徳治主義を否定
信賞必罰を主張
墨子(墨家)
兼愛の精神
儒家の家族道徳を別愛と批判
兼愛交利説非攻
平和共存社会の実現
注釈
墨子 - [470 B.C.頃~390 B.C.頃]
 名は翟(てき)。魯の国出身。墨家の始祖となり、無差別博愛と平和論を説いた。その思想は『墨子』に記されている。
(1) 兼愛
孟子は兼愛を家族道徳を破壊する危険思想と評し、墨子を「父を無みする者」と批判した。
(2) 墨家
墨家は堅い団結を誇る学派で、春秋時代後の戦国時代には儒家と並ぶ二大勢力であったが、秦の始皇帝の全国統一以降、急速に衰えた。
(3) 兼愛交利説
「兼(ひろ)く愛して交(たが)いに利する」。これは相手のためにすることは自分のためにするという功利的な性格もある。
(4) 非攻
墨子は大国による侵略のための戦争は否定したが、小国による防衛のための戦争は認めている。
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◇ 02 古代中国の思想

  • 孔子の「仁」の特色を、忠恕、克己復礼に即して理解しよう。
  • 孟子の性善説と荀子の性悪説を対比しよう。
  • 老子の無為自然と荘子の運命随順の共通点を考えよう。

⑦ 儒学の成立 - 朱子学と陽明学

儒学の成立
 春秋・戦国時代から漢の時代にかけては、多くの儒教の経典がつくられた。その主なものが四書五経 ※(1)(ししょごきょう)である。漢代以降に発展した、これらの経典を研究 ※(2)する学問は、儒家と区別して儒学とよばれ、朱子学と陽明学がその代表的なものである。
朱子学
 朱子学は、森羅万象を体系的に説明する壮大な思想体系であり、南宋の朱子朱熹)が大成した。
(1) 理気二元論
 朱子は、天地万物は「」と「」という2つの原理から構成されるとする理気二元論を唱えた。朱子の考えによると、理と気は一定の秩序に従って結びつき、物体・動植物・人間を形成する。理は気を支配し、物事の本質は、その奥に働いている理を知ることにより把握される。
物体・動植物・人間など万物を貫く宇宙の規範原理であり、存在の根拠である。それは感覚的に捉えることのできない形のない本質であり、物を生じさせ、各事物を成り立たせる根本である。さらに、人間にとっては、道徳的な規範の根拠ともなる。
万物を成り立たせている物質的要素(質料やエネルギーなど)である。それはまだ形のない物質であり、それ自身発育する力をもち、ものを発生させる材料ともなる。
(2) 居敬窮理(きょけいきゅうり)・格物致知(かくぶつちち)
 人間は生まれながらにして理を授かっている(性理説)のため、その本質は理(本然の性)と一体であり(性即理)、善を為しうる。ところが、人間の心は宇宙の気から形づくられるため、ここから人間の欲が生じてしまう。それにより理は人間の欲の気に覆われ、気に善を行うことを妨げられてしまう(気質の性)。そこで、気を取り除き、本然の性を輝かせる修養が必要となる。この修養法が居敬(持敬)窮理格物致知である。朱子は、居敬(持敬)窮理の具体的な方法として格物致知を強調した ※(3)
居敬窮理
居敬持敬)とは、欲をおさえて理に従い、敬(つつしみ)の心を持つこと。窮理とは、万物の理を極めること。
格物致知
個々の事物を探究することによって知を致しめる(窮める)こと。
陽明学
 朱子が人間は「理」と「気」からなるとしたのに対し、理を人間の心の内に見いだし、人間の心自体が理である ※(4)として心即理を説いたのが、王陽明による陽明学である。
(1) 良知・致良知
 心は理であるため、人間は誰しも先天的に善悪を判断する力(良知)をもっている。王陽明は、この力のままに生きる(良知を致す)ことが人間の道だと説いた。これを致良知 ※(5)という。
(2) 知行合一
 さらに王陽明は、「知は行のはじめであり、行は知の完成である」と語り、良知は行為(実践)によってなされ、達成されるものだと説いた。これを知行合一という。王陽明は、行為があってこその良知であるとして実践を重視した。
《 朱子と王陽明 》
朱子
12世紀後半
理気二元論
人間は「理」と「気」からなる
性即理
居敬(持敬)窮理
格物致知
私欲をおさえて言動をつつしみ、知を極めることによって仁を実現する
王陽明
16世紀後半
理気一元論
人間の心はそれ自体が「理」である
心即理
知行合一
致良知
良知をきわめ、実践によって仁を実現する
儒学の発展
四書五経の研究
朱子学
万物の真理(理気二元論) → 修養(居敬窮理格物致知
→ 理と一体化(本然の性
陽明学
万物の真理(心即理) → 実践(致良知知行合一
= 先天的に保持する良知
注釈
朱子(朱熹) - [1130~1200]
 南宋の儒学者。幼少の頃から父の厳格な教育を受け、19歳で科挙に合格。生涯を官吏として過ごし、『四書』や『易経』の研究を続けた。主著『四書集注』。
(1) 四書五経
四書は『大学』・『中庸』・『論語』・『孟子』、五経は『易経』・『詩経』・『書経』・『春秋』・『礼記(らいき)』。
(2) 儒学
経典の理論的な統一と体系的な解釈がはかられた。
(3) 格物致知
理は個々の事物の中にあらわれているので、個々の理を探究する(= 格物)ことによって、知に致る(= 致知)ことができる。朱子は、格物致知によって理想の聖人(理と一体化した人格者)に至るために、四書の『大学』の教えを重んじた。
王陽明 - [1472~1528]
 28歳で科挙に合格。辺境の地に左遷された経験から精神的転機を得る。朱子学に疑問を抱き、実践的な陽明学を確立。後半生は官僚に復帰し、諸地域の平定に尽くす軍事のかたわら学問に励んだ。主著『伝習録』。
(4) 心即理
「心はそのまま理である」という王陽明の言葉が示している。
(5) 致良知
「知りて行わざるは、ただこれ未だ知らざるなり」。致知とは知識を磨くことではなく、良知(道徳的判断)を実現する知行合一である。
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◇ 02 古代中国の思想

  • 孔子の「仁」の特色を、忠恕、克己復礼に即して理解しよう。
  • 孟子の性善説と荀子の性悪説を対比しよう。
  • 老子の無為自然と荘子の運命随順の共通点を考えよう。

⑧ 道家 (1) - 老子の思想

道と無
 老子は、万物の原理であり、すべての存在の根拠を仮にタオ)と名付けた。老子によると、万物は道から生まれ道に還る。しかし、道は万物をそのあるがままに任せ、支配しない。つまり、道は、おのずとそのようにある自然 ※(1)のあり方そのものである。それは感覚として捉えることができず、また言葉も規定できないことから ※(2)ともいわれる。
「人は地に法(のっと)り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る」
 万物の根底には道がある。あるがままに自然にいのちの宇宙大河となって流れ続けている。ゆったりとおおらかに。
『自然訳 老子』(新井満・訳 朝日新聞出版)
無為自然
(1) 無為のはたらき
 道は自然のあり方そのものゆえ、何もしていないような無為にみえるが、人知でははかりがたい重要なはたらきをしているという ※(3)。この「無為」とは、つまり、人知を超えるはたらきである。たとえば「人間万事塞翁が馬」「禍転じて福となる」ことも少なくない。また「案ずるより産むが安し」ともよくいわれる。「なるようにしかならない」からである。
(2) 無為の逆説的・反語的真理
 道家では、さらに「無用の用」「負けるが勝ち」などの逆説的な表現で、無為の妙なるはたらき ※(4)を示している。
(3) 無為自然の生き方
 こざかしく作為を労しても、道に反すれば無理が生じ、逆の結果を招くこともある。道と自然に従い道と一体化したあり方や生き方が無為自然であり、老子はこのような生き方をすべきであると説いた ※(5)
(4) 無為自然の政治
 儒家が仁・義といった徳を強調するのは、大いなる道が失われ人心が荒廃しているからである。老子は、儒家の道徳や文化は「道」を離れた人間が作為したこざかしいもの ※(6)であると儒家を批判し、無為の政治を訴えた。
(5) 文明の批判
 老子は、無為自然に照らして、文明を批判した。文明とは、知識を増やし、効率と便利さを求めることであり、欲望を刺激し満たすことである。人々は知識や欲望にとらわれることによって不幸におちいっており ※(7)、仁・義・礼・智の学問や知識にふりまわされないことが肝要である、と老子は説いた。
柔弱謙下(にゅうじゃくけんげ)
(1) 柔弱は生の原理
 自然は「柔らかいものはしなやかな命に満ち、硬いものは硬直して死んでいる」 ※(8)という法則がある。柔軟な術が力む相手を倒すこともある ※(9)
(2) 「上善は水の如し」
 「上善は水の如し」こそ理想の生き方であると老子は考えた。水は争わず低くして万物に恵みを与える。柔弱謙下は、水のようにおごらず他を利して和して生きることである。穏やかで柔和に、そして謙虚に身を低くして人の嫌がる場所にいて、人と争わぬ生き方をする人こそ道に近いのである。
「上善は水の如し。水は善く万物を利して而も争わず。衆人の悪む所に処る。故に道に幾(ちか)し」
 最高に善なる生き方とは、水のようなものである。水は万物に恵みを与えながらこだわりも停滞もなく、人の嫌がる低いところへ流れていく。だから「道」のあり方に似ているのである。
『老子』 第8章(編集部・訳)
小国寡民
 老子は、自然のままに素朴に生活し、自らに安んじている小規模な共同体(小国寡民)を理想社会であると説いた。それは、欲が少なく足ることを知っている小欲知足の社会てある ※(10)。そこには「捨てて生きる」、身を退く隠者の思想もうかがえる ※(11)
注釈
老子 - [?~?]
 謎の人物とされ、伝説は残るが、実証的な資料はない。80の簡潔な文章からなる著書『老子』(著者不明)には、庶民のしたたかながら忍耐強い生き方が示されている。
(1) 自然
自然は「自(おのず)から然る(そうである)」の意味。
(2) 無
言葉は人間を限定し表現するが、たとえば「気が合う」「殺気がある」「気配を感じる」など、言外の言、以心伝心の真実もある。こうした人知を超え有無の分別を超え限定できないものが「無」である。
(3) 道=無為に見えるもののはたらき
「道は常に為すなくして、而もなさざるなし」。「無為なれば為さざるなし」とは「なさぬことをする」ことである。
(4) 無為の妙なるはたらきを逆説的に表現
「人事を尽くして天命を待つ」と語るが、「人事を尽くさんと思い立つときは天の命である」など。
(5) 無為自然
老子によれば、無為自然とは「天が然らしむように自ら然る(天然自然)」心構えである。人生は、意識したはからいや作為・人為でははかりがたいからである。
(6) 儒家の道徳、文化への批判
「大道廃れて仁義あり。知恵出でて、大偽あり」
(7) 知識・欲望にとらわれ不幸になる
「得がたきの貨は、人の行いを妨げしむ」(欲望は人の心を狂わせる)
(8) 柔らかいものは生、硬いものは死
「柔弱は生の徒なり」
(9) 柔軟な術が力む相手を倒す場合もある
「柔は剛に勝ち、弱は強に勝つ」のである。
(10) 小欲知足
「足るを知れば辱められず。止まるを知ればあやうからず」
(11) 捨てて生きる
「功成名逐、身退、天之道也」(成功したらその地位に留まらず、退くのが天の道である)
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◇ 02 古代中国の思想

  • 孔子の「仁」の特色を、忠恕、克己復礼に即して理解しよう。
  • 孟子の性善説と荀子の性悪説を対比しよう。
  • 老子の無為自然と荘子の運命随順の共通点を考えよう。

⑨ 道家 (2) - 荘子の思想

万物斉同
 荘子は、老子の教えをさらに徹底させ、ありのままの世界には調和と均衡があり、そこではあらゆる生きものが平等で斉(ひと)しい存在であるとした(万物斉同)。しかし、人間は分別の心から離れることができず、是と非、賢と愚、美と醜などを対立的・差別的にみて、違いにこだわってしまう。悠久な天の道に照らしてみれば相対的なものである、こうした「ものごとの違いに執着する分別の心」が人間を不自由にし、煩いや苦しみが絶えないのだ。
運命随順
 そこで、万物斉同の観点から、天地自然のなりゆきにいっさい身を任せる運命随順 ※(1)を荘子は唱えた。この立場に立てば、世界も人生も、一喜一憂、喜怒哀楽なく非常に虚無恬淡(きょむてんたん) ※(2)とした世界が開けてくるうえ、世界のすべてを肯定し是認することができる ※(3)
逍遥游(しょうようゆう)・真人・心斎坐望(しんさいざぼう)
 荘子は、心に逆らうことなく、気ままに自由自在に遊ぶように生きる逍遥游 ※(4)の境地を理想の生き方とした。そして、この境地に達した人を理想とし、真人とよんだ。人間は、心のこだわりを捨て虚心になって天地自然と一体となる心斎坐望 ※(5)の修養により、理想の境地に達して真人となれる。荘子は、あくせくとした社会や政治からのがれ、名声を求めずに悪をなさず悠々として ※(6)天寿をまっとうする生き方をよしとした。
注釈
荘子 - [370 B.C.頃~300 B.C.頃]
 名は周。宋の国の出身。その思想は『荘子』に伝わるが、実像は不明。賢人ゆえ楚王により高位をもって迎えられたが、悠々自適の生活で自由人として生きたと伝えられる。自在な筆法で、巧みな比喩や寓話に富む『荘子』33篇がある。
(1) 運命随順
人間のはからい(人為)を捨てて運命(必然)のままに生きること。
(2) 虚無恬淡
「時に安んじて順に処(お)れば、哀楽入る能(あた)わず」「清浄恬淡、来る者は拒まず、去る者は追わず」

【恬淡 - テンタン】
欲が無く、物事に執着しないこと。また、そのさま。
(3) 世界のすべてを肯定し是認する
「窮するもまた楽しみ、通ずる(上手くいっているとき)もまた楽しむ」
(4) 逍遥游
荘子は、「大鵬は、南冥を目指す」と述べ、大鵬(鳳)という伝説上の瑞鳥が自由自在に天翔るように、心のままに楽しむあり方を例としてあげている。
(5) 心斎坐望
心斎は心を虚にすること、坐望はいっさいの忘れるべきことを忘れること。心斎坐望はのちの禅の先駆けともいえる。
(6) 名声を求めず悪をなさず
悠々として天寿をまっとうする
真人は悠々自適である。
(7) 荘子の生き方
荘子の世界は、知足安分、養生、天真爛漫である。

【知足安分 - チソクアンブン】
高望みをせず、自分の境遇に満足すること。
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◇ 02 古代中国の思想

  • 孔子の「仁」の特色を、忠恕、克己復礼に即して理解しよう。
  • 孟子の性善説と荀子の性悪説を対比しよう。
  • 老子の無為自然と荘子の運命随順の共通点を考えよう。

⑩ 老荘思想と道教

老荘思想
 孔子と孟子に代表される儒家に対し、老子と荘子に代表される思想の系譜を道家(どうか)という。老子と荘子の教えは、いずれも「自然のありのままの姿」をよしとする点など、同じ傾向を持つことから老荘思想とよばれ、道家の主流となった。
老荘思想の発展
 老荘思想は、無気力な逃避主義、退廃的な虚無主義、消極的な厭世主義、独善的な神秘主義などと評され、儒家から強い批判を受けた。儒家がその後、中国の政治や社会における思想の基盤になったのとは対照的に、老荘思想は民衆の間で広く浸透する。それはやがて中国の民間信仰と融合し、道教という宗教が成立する母胎ともなった ※(1)
注釈
(1) 道家と道教
道家と道教は別のものである。
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