ARTHUR-AQUAMARINE's MEMO

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TOP ≫ 《倫理》_Chap.4_《07社会契約論》
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◇ 07 社会契約論

  • 社会契約論とその理論的基礎となった自然法思想の特徴と課題を理解しよう。
  • 服従契約へと至るホッブズと革命権を認めるロックの社会契約論の違いを理解しよう。
  • 直接民主制による平等な契約を目指すルソーの社会契約の意義と問題点を理解しよう。

① 社会契約論と自然法思想

絶対主義と王権神授説
 16・17世紀のヨーロッパは絶対主義の時代であった。官僚と常備軍に守られた国王が専制政治を行い、民衆に対し強大な権力を行使していった。イギリスではエリザベス1世が、フランスではルイ14世があらわれ、全盛期を迎えていく。
 このような絶対君主の支配を正当化していったのが王権神授説 ※(1)である。宗教革命によってカトリック教会の権威から独立を獲得した国家が、国民の権力は教会を経ずして神から直接授けられたものであるとして、人民は国家の権威に服従しなければならないと説いたものである。
社会契約論
 17・18世紀は市民革命の時代であった。イギリスそしてフランスと王権は倒れ、絶対主義の時代は終わりを迎える。その際に、王権神授説を批判し、革命側の理論的支柱となったのが社会契約論である。その基本的な考え方は、国家や政府が形成される以前の自然状態を想定し、個人が生まれながらに持っている自然権の確保を確実にするために、その構成員である個人が相互に契約を結ぶことによって国家や社会は成立したというものである。この社会契約論という国家観・社会観は、以前のそれと比較して以下の二つの特色を持つ。
(1) 政治社会を、人為的につくられたものであると捉えた
 近代自然科学の成立を背景に、「自然」概念は非人格化された。スピノザの「神即自然」のような考え方も現れてきた。それとは対照的に政治社会を人為的な産物としてとらえ、政治社会は人間によって形成されるものであるから人間が意識的に作り替えることができると考えた。この視点は、市民革命を精神的に準備していくことになった。
(2) 社会について原子論を採用した
 社会をいったん個々人のレベルまで分解し、そこから再び個人の契約によって社会を構築する方法を模索した。この考え方は、従来のアリストテレスの説いた社会的動物としての人間観や、トマス・アクィナスの説いた絶対的な神の定めた階層秩序としての社会観を否定したものである。
 よって、個人の自由と社会秩序がいかにして両立できるかが社会契約論の最大の課題となっていく。
自然法思想
 社会契約論の理論の基礎となった考え方が、自然法思想である。この思想では、人為によって、国王などが制定した実定法に対し、時代や国をこえて万人に当てはまる普遍的・恒久的な自然法 ※(2)が法律の基盤を為すと考える。そして、自然法に基づく自然権 ※(3)は、国家権力でも奪えないと主張された。
 自然法の起源は、古代ギリシアのストア派に求めることができる。ゼノンは、宇宙はロゴス(理性)によって支配されており、自然法もロゴスから生じると考えた ※(4)。中世のキリスト教神学を集大成したトマス=アクィナスは、自然法は万物を支配する神の世界統治の理念が人間の理性に刻印されたものであるとした。神の法は、信仰を持つ者によってのみ認識されるものであった。
 近代に入ると、オランダの法学者グロティウスが、自然法は人間が本来持つ理性に基づくものであるとして、自然状態や自然観を考察していった。具体的に彼は、公海(国家が領有したり排他的に支配することができない海域)自由の原則や、平時にも勝る戦時における国際法の必要性を訴えた。
注釈
グロティウス
- Hugo Grotius [1583~1645]
 17世紀、オランダの法学者。11歳でライデン大学に入学し、16歳で弁護士となった秀才。「近代自然法学の祖」、「国際法の父」と呼ばれる。主著『海洋自由論』『戦争と平和の法』。
(1) 王権神授説
王権神授説を唱えた理論家として、イギリスのフィルマー(1589頃~1653)やフランスのボシュエ(1627~1704)があげられる。
(2) 自然法
自然法を自然法則として探究する中から自然科学が誕生し、ニュートンらの科学的世界観へと発展した。
(3) 自然権
自然権の具体例として、生命・財産・自由・平等に対する所有・幸福追求などの権利があげられる。ここから現在の基本的人権の考え方が生まれた。
(4) ロゴス(理性)
宇宙や自然のみならず、人間にもロゴス(理性)が宿されている。よって、自然も人間本性も同じ nature という言葉で表現されている。
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◇ 07 社会契約論

  • 社会契約論とその理論的基礎となった自然法思想の特徴と課題を理解しよう。
  • 服従契約へと至るホッブズと革命権を認めるロックの社会契約論の違いを理解しよう。
  • 直接民主制による平等な契約を目指すルソーの社会契約の意義と問題点を理解しよう。

② ホッブズ - 服従契約

 ホッブズの機械論的唯物論は、経験論の流れに与していると位置付けることができ、一方で彼は師ベーコンとは違い、人間の感覚が確実に真理をとらえる能力を持つという見方には懐疑的であった。そこで、より確実性の高い知の体系を求めるために、疑い得ない原理から演繹的に結論を導く幾何学的方法を重視し、イギリスにデカルト理論を紹介した。このような発想は、経験論の流れとは異質なものであり、彼は政治哲学においても、演繹的方法を採用していくことになる。
人間本性と自然状態
 ホッブズは、主著『リヴァイアサン』において、国家が存在しない状態を仮説的に想定し、これを「自然状態」と呼んだ。この自然状態を生きる人間は、快楽を追求し苦痛を避ける自動機械であるととらえる。自然権(自己保存の欲望)の行使とは、利己的動物である人間が欲求を満たすために行う活動のことである。この自然権の行使の結果が、「万人の万人に対する闘争」という戦争状態である。
死の恐怖と自然権の譲渡
 「死の恐怖」に襲われた人々は、安寧と平和を求めるという「自然法」に則って、各人の自然権を相互に譲渡するという契約を結び、国家(コモンウェルス)を形成していく ※(1)。この強大な国家権力 ※(2)は、人々が安寧と平和を求めるためにそれを支え、つくり出していったものなのだ。
服従契約
 ホッブズは、このようにつくられた国家を、各人の意志が具現化された人工的な「人格(person)」ととらえた。よって、国家権力の判断は各人の判断であり、国家に抵抗することは自分自身に抵抗することになるので、決して許されないことになる。ゆえに国王の定めた法律は絶対なのである。このような特色を持つホッブズの社会契約の特色は、「服従契約」と呼ぶことが出来る。
 彼は、人間の本性から国家権力の正当性・必要性に至るまでを、このような演繹的な方法で論証していった ※(3)。他方、ホッブズの議論の流れを追ってきてみると、人間は欲望の動物から理性的な主体へと成長してきていることに気付く。ここには、人間というものを完結した固定的なものと見るのではなくて、時間や条件の変化の中で動的に見ようとする経験論的な発想も見られるのである。
《 社会状態の外では、常に各人対各人の戦争が存在する 》
 人びとは、すべての人を威圧しておく共通の力を持たずに生活している間は、彼らは戦争と呼ばれる状態にあるのであり、そして、かかる戦争は、各人の各人に対する戦争なのである。というのは、戦争とは、戦闘や闘争行為だけに存するのではなく、戦闘によって争おうとする意志が十分に窺われる継続する期間に存するからである。……戦争の本質は実際の闘争に存するのではなくて、闘争への明らかな志向に存する……
《 このような戦争による障害 》
 このような状態においては勤労の余地はない。なぜなら、その成果が不確かだからである。したがって、土地の耕作は行われず、航海も海路で輸入されうる財貨の使用も行われず……
『世界の大思想 ホッブズ』(訳:水田 洋・田中 浩 河出書房)
注釈
ホッブズ
- Thomas Hobbes [1588~1679]
 貧しいイギリス国教会の牧師の子として生まれる。オックスフォード大学を出た後、貴族の家庭教師やベーコンの秘書などを務めながら研究を続けた。幾度か大陸に渡り、デカルトやガリレイなどとも面識を持った。清教徒革命直前に、絶対王政を支持するものとして議会派から攻撃を受け、11年間フランスで亡命生活をおくった。亡命中の王子(チャールズ2世)に数学を教えた。そこで、主著『リヴァイアサン』を刊行した。ひそかに帰国し、王政復古後はチャールズ2世に厚遇されたが、無神論者として宗教界から激しい非難を受け、著作の出版が禁止された。晩年は平穏な著作活動に専念し、91歳で亡くなった。
(1) 国家の形成
自然状態において「万人の万人に対する闘争」に陥っていた人間が、なぜ秩序を形成することができるのか。社会学や政治学では、このような自由な個人と社会の相克を「ホッブズ問題」と呼んでいる。
(2) 国家権力=リヴァイアサン
ホッブズは、『旧約聖書』ヨブ記に出てくる海獣「リヴァイアサン」になぞらえて、国家をこのように呼んだが、その強大な権力は人々の同意に支えられているとした。
(3) 国家権力の正当性・必要性
絶対主義国家を肯定するホッブズ理論の背景には、当時の清教徒革命に伴うイギリスの国内情勢の不安定さの原因は、絶対的な主権の不在によるとする政治的な見方があった。
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◇ 07 社会契約論

  • 社会契約論とその理論的基礎となった自然法思想の特徴と課題を理解しよう。
  • 服従契約へと至るホッブズと革命権を認めるロックの社会契約論の違いを理解しよう。
  • 直接民主制による平等な契約を目指すルソーの社会契約の意義と問題点を理解しよう。

③ ロック - 信託契約

イギリス革命とロックの社会契約論
 ロックの社会契約説は、それまで自明だと思われていた封建的秩序や、スコラ哲学を支えていた神学的世界像は、「つくられた」ものだということをはっきりさせ、「白紙」から新しい世界像をつくることが出来る可能性を示したものである。
 1642年から始まったイギリスの国教徒と清教徒の宗教対立は、長年に渡る内乱を経て国王の処刑で幕を閉じ、ピューリタン革命と呼ばれた。長年の内乱とその後の独裁政治に苦しんだ人々の間では、「他人に寛容になろう」という機運が高まっていた。王政復古への揺り戻しは、理性の力に頼る過激な革命への疑問の現れであるとみることも出来る。1688年の名誉革命は、オランダから呼び寄せた王に議会の権利を認めさせるという形で、一滴の血も流すことなく成功した。ロックの社会契約論は、この名誉革命の思想的基盤となったが、それは一連のイギリス革命の経験の賜物ともいえるものでもあった。
自然状態
 王権神授説 ※(1)や王に対する臣民の絶対的服従は、経験的にも理論的にも間違っていると考えたロックは、人間が国家の奴隷ではなく主人であるような契約説を、自然状態を想定するところから議論していった。
 すべての人間は自然状態において、自分の財産を守り、自由に生きる権利(=自然権)を神によって与えられている。彼らは理性を持ってそれと共に生き、他人の自由と権利を侵害しない義務を自然法 ※(2)によって命じられてもいる。すなわち、自然法の範囲の中において自由と平等を内容とする自然権が認められる。したがって、自然状態は平和と秩序の守られた世界であった。
 ロックは、自然状態における人間を、自ら秩序を形成できる「勤勉で理性的な industrious and rational」存在と考えた。よって勤勉な人民は、社会全体の富を次第に増加させるため、ホッブズが想定したような戦争状態には至らないのである。
所有権の肯定
 労働によって富を作る人間は、その富に対する正当な所有権(property)を有する。各人の労働への正当な評価である財産は、自尊心の源であり、誰からも奪われることがあってはならない。しかしながら、この段階では、財産の大きな格差は生まれてこない。自分が食べる分以上の食料を蓄積し、それをすべて腐らせてしまうような愚か者は存在しないからである。
政府の設立と人民主権
 ところが、貨幣の出現により財産を無制限に蓄積することが可能になると、不平等が生じ、自然法を侵犯して他人の富を暴力的に奪おうとする者も出現してきてしまう。そこで、全員一致により各人に属していた裁き、罰する権利(=執行権)を放棄し、それを紛争解決機関たる政府に委ねることが必要になってくる。よって、政府の本来の任務は、個人間の紛争の調停と生命・自由・財産に対する所有権の保護に限られ、主権はあくまでも人民にあることになる。こうした視点に立って、ロックは、立法・行政・連合(=外交権)の三権を分立した政治体制の必要性を説いた ※(3)のである。
立憲君主制の主張と革命権の擁護
 さらにロックは、立法権を最上位に置いて、これを議会に一任し、それを補完するものとしての他の二つは王に委ねるという法治主義的政治体制を主張した。これは、当時ホイッグ党が主張しつつあった立憲君主制の理論的支柱となっていった。
 また、人民による政府への権利の信託(trust)は彼らの同意に基づくものであり、政府が彼らの信託に反していると判断した場合は、人民は政府に対する抵抗権・革命権を行使することができる ※(4)とした。このような考え方は、アメリカ ※(5)やフランスの革命の理論的基盤ともなっていった。以上のようなロックの社会契約説の特色は、「信託契約」と表現することができる。
注釈
ロック
- John Locke [1632~1704]
 イギリス経験論の代表的な哲学者・政治学者。典型的な新興中産階級の、敬虔な清教徒の家庭に生まれ、市民革命の内乱期に育つ。父はジェントリ(小地主)出身の弁護士で、清教徒革命では議会派の騎兵隊長であった。ロックは、オックスフォード大学でスコラ哲学と医学を学んだが満足できず、デカルト哲学や近代自然科学を研究した。同大講師を務めていたが、進歩的な非国教徒で後にホイッグ党の指導者となるアシュリー卿(後のシャフツベリー伯)の侍医・家庭教師となる。伯と共に王政復古後のチャールズ2世の専制政治に反する運動に加わったが、伯が失脚するとオランダに亡命した。名誉革命の翌年帰国し、革命を正当化した『統治論』で名声を得、政府の要職に就いた。この頃、造幣局長であったニュートンと知り合い、親友となる。主著として『人間知性(悟性)論』『統治(二)論(市民政府二論)』『寛容論』がある。
(1) 王権神授説
ロックは、『統治論』の第一論文で、フィルマーの王権神授説を批判している。
(2) 自然法
この自然法についての知識は、生まれながらに人間に備わっているものではなく、人間が自らの感覚と理性を働かせることによって獲得された神の意志であるという経験論的な説明がなされている。
(3) 三権分立の政治体制
この考え方は、モンテスキューの「立法・行政・司法」への三権分立論を生み出していく。
(4) 政府に対する抵抗権・革命権
つまりロックの民主主義は、権力に参加するのではなく、権力の制限を目指したものであるということができる。
(5) アメリカの革命
アメリカ独立宣言は、トマス・ジェファーソンによって起草されたが、ロックの社会契約説の影響が色濃く見られる。
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◇ 07 社会契約論

  • 社会契約論とその理論的基礎となった自然法思想の特徴と課題を理解しよう。
  • 服従契約へと至るホッブズと革命権を認めるロックの社会契約論の違いを理解しよう。
  • 直接民主制による平等な契約を目指すルソーの社会契約の意義と問題点を理解しよう。

④ ルソー - 直接民主制

 ルソーの社会契約の独自性は、第一には、君主制を容認したヴォルテールらと異なり、人民主権の直接民主制国家の絶対性を唱えたことであり、第二には、それらの社会的な議論の根底に、自由と平等の確立という一貫した倫理的な視点を据えている点にある。
自然人の自己愛と憐憫の心
 ルソーもまた、『人間不平等起源論』に於いて「自然状態」から想定していく。その際に彼は、社会や文明の進歩が付け加えたと思われる正義・所有・貪欲などの人為的能力を取り除く。よって、自然人の特質として彼が認めるのは、自己愛(=自己保存の欲求と憐憫の心だけである。各人は自分の欲求を満たすべく勝手に生きているが、この憐憫の心が人間の相互行為を可能にし、法の代理を果たしていた。
文明と私有財産制の発生
 ただし人間は他の動物と違い、自由意志と自己改善の能力を持っていた。この能力の発展と共に定住生活が始まると、人間は理性 ※(1)や言語を動かし始める。相手を選ばない身体的欲求だった性愛は、継続的な恋愛に変わり、嫉妬・恥辱などの感情が生まれる。家族が生まれると私有財産制が発生し、さらに氏族や部族などの社会集団が生じ、共同作業の農業が始まると、個人の能力差が際立ってくる。能力に優れた者や、集団の中で財を成した者が尊敬され、「自己愛」という自然な感情ではなく、「自尊心」という社会の中でつくられた感情が生まれてくる。そうなると、他のメンバーは虚栄や羨望などを覚えるようになり、この延長上に、「強者と弱者」「主人と奴隷」という構図が生まれていく。このように発達してきた文明は身分制社会を生み出し、平等は消滅し戦争状態へと突入していった。「ある土地に柵をめぐらせて、『これは俺のものだ』と宣言することを思いつき、それをそのまま信ずるほどおめでたい人々を見つけた最初の者が、文明社会の創設者である」。
 ルソーに言わせれば、ロックの目指した所有権の保護のための社会契約は、戦争状態からより大きな不利益を受ける富者が、貧者をだまして結ばせた契約ということになる。
人民主権の直接民主制国家
 戦争状態に終わりを告げ、なおかつ自由と平等を守ることを両立させるにはどうしたらよいかということが、『社会契約論( Of The Social Contract, Or Principles of Political Right. (社会契約について、もしくは政治的権利の原理) )』 ※(2)の課題となった。ルソーの答えは、契約の当事者全てが政治の主権者になる、人民主権直接民主制 ※(3)を採用する「共和国」を実現することであった。「イギリスの人民が自由なのは議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民は奴隷となり無に帰してしまう」として、イギリスの議会制には否定的であった。政治に参加することは、人間が社会の中においてもう一度自己の主体性と自由を回復する営みである。そこではじめて人間は統治される者であると同時に統治する者となる ※(4)
一般意志に基づく社会契約
 このような社会契約を可能にするのが、共同体の全構成員が相互に自己を全面的に譲渡する社会契約である。ルソーは、この契約が結ばれたときに、「一般意思」が実現されるとする。
 一般意思は、個人の利益を目指す特殊意志(=個別意志)や単なるその総和にすぎない全体意思とは違い、共同体全体の福利を考える意志である。各人は、自らの理性に基づいて、自発的に契約に参加するので、一般意思が定めた法に従うということは、自ら定めた法に自ら従うということであり、そこには従属関係はなく、全ての者が自由なのである。人々は、個人の自然的自由を失う代償に、市民的自由(=道徳的自由)を獲得するのである。
直接民主主義
 一般意思はそれ自体であるか、さもなければ別の意志であって、その中間はありえない。人民の代議士は、だから一般意志の代表者ではないし、代表者たり得ない。彼らは、人民の使用人でしかない。……イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大間違いだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民は奴隷となり、無に帰してしまう。その自由な短い期間に、彼らが自由をどう使っているかをみれば、自由を失うのも当然である。
『社会契約論』(訳:桑原 武夫・前川 貞次郎 岩波書店)
ルソーの社会契約における自由と平等
 自由と平等を目指すルソーの社会契約は、フランス革命に大きな影響を与えた。ロベスピエールやサン=ジュストなどの革命の指導者たちは演説のなかで、たびたびルソーを引用し、その革命論を展開した。フランス革命が起こると、ルソーの胸像が国民議会前に置かれ、その遺体はパンテオンに埋葬された。
 しかしながら、革命の帰結はジャコバン派による独裁政治と恐怖政治であり、ここに革命は終結していった。そこに至るには、様々な要因が絡んでいたが、ルソーの社会契約の理論自身がはらんでいた問題も大きな原因の一つとなったといえるだろう。
 ルソーは、自然人の自己愛と憐憫の心を元に、いわば自他未分状態を取り戻す平等な社会契約には成功したといえる。他者の顔は、自分のすぐ隣にあり、その息遣いは自分のもののように聞こえてきただろう。隣で空腹を抱えている子どもは自分自身であり、危険を冒してでも「バスティーユへ駆け出せ」「革命に参加せよ」と叫ぶ民衆の声は自分自身の声でもあったのだ。
 問題は、自由である。ルソーは、彼の目指す契約の理念を「各人が全ての人々と結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず、以前と同じように自由である」と述べる一方で、「自由であるように強制される」ことになるとも述べている。そして、革命後の市民には、「社会的な感情として定められる社会契約と法の神聖さを教義とする」市民宗教なるものが課せられるべきだといった。そして、「それを信じない者は誰であれ、国家から追放することが出来る」と結論付けてしまっている。国家と個人を結び付ける「内面的なつながり」を模索したルソーは、自己と他者の差異を認めながらも、自己と他者を愛しうる自由な社会契約には失敗したと言わざるを得ないのではないだろうか ※(5)
《 社会契約論 》
人名 ホッブズ ロック ルソー
主著 『リヴァイアサン』 『統治(ニ)論(市民政府二論)』 『人間不平等起源論』
『社会契約論』
人間観 「人は人に対して狼」 勤勉で理性的な存在 自己愛と憐憫の心
自然状態 「万人の万人に対する闘争」 自由・平等で秩序と平和の守られた状態 自由・平等で平和な、各人が独立した生活
→ 文明と私有財産の発生
→ 不自由・不平等に
自然権 「自己保存」の欲求・権利 「生命・自由・財産」に対する所有権 自由・平等・独立
社会契約
・他人の侵害から自然権を守るために、国王などの政治主権者に自然権を〈譲渡〉する
・国王の制定した法は、絶対である
・自然権の確保を確実にするため、一部執行権を〈信託〉して、政府を構成する
・自然権が守られない場合は、〈抵抗権(革命権)〉を行使できる
・公共の福祉を目指す一般意思に服従し、自発的に自然権を国家に〈全面譲渡〉する
・人民主権の直接民主制を主張した
結果 ・清教徒革命を批判
・絶対王政を擁護
・名誉革命を擁護
・アメリカ独立宣言に影響
・フランス革命に影響
特徴 服従契約 信託契約 自由・平等を目指す契約
社会契約論
王権神授説を批判 → 自由な個人から社会を再構成
グロティウス
理性に基づく自然法 → 国際法の必要性
ホッブズ
万人の万人に対する闘い → 国王に自然権を譲渡
ロック
所有権の確保のため自然権を信託 → 抵抗権革命権の保証
ルソー
一般意志に基づき相互に自然権を全面譲渡
→ 人民主権の直接民主制
注釈
ルソー
- Jean Jacques Rousseau [1712~1778]
 フランスの啓蒙思想家。スイスのジュネーヴに生まれる。生後9日目に母を亡くし、10歳の時に父は彼を家に残して家出した。16歳のとき、自由を求め放浪生活に入る。フランスでヴァラン夫人に庇護され、さまざまな教育を受けた。夫人と分かれた後、30歳のときパリに出て音楽家を志すが、基本的には写譜で生計を立てていた。38歳のときにようやく『学問芸術論』が懸賞論文に入選した。書簡体の恋愛小説『新エロイーズ』は好評を得たものの、『社会契約論』『エミール』は禁書になった。経済的・社会的不遇の状態は続き、下宿の女中との間にもうけた5人の子を全員孤児院の前に捨てた。この事実をヴォルテールに暴露され、スイスへ逃亡した。その後、イギリスの哲学者ヒュームと知り合いイギリスに渡ったが、一方的に仲違いし、58歳でフランスへ帰った。フランス革命の11年前に、パリ郊外で亡くなった。主著として、『学問芸術論』『人間不平等起源論』『言語起源論』『新エロイーズ』『社会契約論』『エミール』『告白』『孤独な散歩者の夢想』がある。
(1) 定住生活の開始と理性
理性の発達は憐れみの情を喪失させた。
(2) 社会契約論
「社会」(The Social)という言葉は、ルソーの『社会契約論』以前にはほとんど用いられていない。「社会」という言葉は、その中に「平等」を含意する用語としてルソーが使い始め、普及した言葉である。
(3) 直接民主制
ルソーは、人民集会における立法(=生まれ故郷ジュネーヴの直接民主制)を賛美した。
(4) 統治される・する者
こうしたルソーの民主主義思想の影響を受けたフランス革命は、それまで政府からの自由を内容としてきた消極的な人権概念に政治への参加という積極的な側面を付与することになる。
(5) 差異を認める社会契約
後代には、ルソーの一般意思による自然権の全面譲渡などの思想を演繹していけば、ファシズムに結びつくという見解すら出された。ルソーは、その評価の振り幅が大きい、魅力的で危険な思想家であるといえる。
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