ARTHUR-AQUAMARINE's MEMO

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◇ 04 家族と地域社会

  • 家族とコミュニティのそれぞれのあり方を過去と現在で対比してみよう。
  • 少子高齢化社会という日本社会の現状を把握しよう。
  • 社会における女性の役割の変遷と、女性問題をめぐる法や制度をおさえよう。

④ 都市化と地域社会

コミュニティの消滅
 人々が共同体意識を持ちながら生活している地域社会のことをコミュニティとよぶ。都市化や過疎化の流れの中で、かつての村落のような自然発生的なコミュニティが消滅した結果、地域社会全体による子育てや、老後の交流の場所が失われてしまった。そこで、自分もコミュニティの一員であるという意識を再活性化させる必要性が指摘されている。
「ハレ」と「ケ」にみる昔のコミュニティ
 民俗学者の柳田国男は、かつて我々が住んでいた村落共同体の景観を、右のような模式図で示した。
 昔の日本の村落共同体は内部世界と外部世界からなっていた。近くの平地にある住居や畑が、田畑で農耕に従事する里人の日常生活の場である、内部世界であった。かなたの海原や奥山は、神や仏の住む外部世界である、死の世界であった。その両者をつなぐのが、海辺・低山・川・道などの辺境地帯である。そこには、寺社やお堂が建てられ、墓地が設けられていた。
 柳田は、村落と共同体の日常生活に流れる時間を「」(=)とよび、冠婚葬祭や祭りなどの年中行事の際の非日常的な時間を「ハレ」(=晴れ ※(1)とよんで対比させた ※(2)
地域社会が抱える問題
 かつて、日本の農村社会は、人々の暮らしを支える「農村型コミュニティ ※(3)として役割を果たしていた。それは、稲作等を中心とする「生産のコミュニティ」であると同時に、「生活のコミュニティ」でもあった。産業化・都市化が進む中で、「生産のコミュニティ」は「社会」に、「生活のコミュニティ」は「(核)家族」へと分離してきた。近年、盆踊りなどを担ってきた町内会などの中間集団も役員のなり手が少なくなり、弱体化・形骸化が指摘されている(=地縁の縮小)。
 その結果、日本社会は会社や家族以外の他者との交流が極めて少ない「社会的孤立」の状態に陥ってしまっているという指摘がある。そもそも、「農村型コミュニティ」は、構成員の同質性をベースにした情緒的・非言語的なつながりや関係性が重視される凝集度の高い「ムラ社会」の特質を持ち、「ウチとソト」の落差が大きいという問題点が指摘されていた。戦後、農村から都市に移動した人々が作った「会社」や「(核)家族」も「都市の中のムラ社会」という特質を引き継いでしまっていた。
 更に、近年の低成長経済の下で会社ではリストラが導入された。終身雇用は崩れ雇用の流動化が進み、企業福祉は後退した(=社縁の縮小)。また、個人化という大きな流れを受けて、結婚し家族を設けるというライフコースを辿ることを一般的な規範とする社会が変化しつつあり、子どもを設けない夫婦や生涯未婚の人も現れてきた(=血縁の縮小)。結果として単身世帯が増加し、一人暮らしの高齢者の「買い物難民問題」 ※(4)や、誰にも看取られずに孤独に死んでいく孤独死・無縁死が問題視されてきた。人間関係が希薄になり、隣人の死さえも気づかない社会のあり方は無縁社会と呼ばれている。
地域社会における共生を目指して
 社会学者の宮台真司は、日本の都市化は、地域・家族という「生活世界」を空洞化させ、それを市場や行政などの「システム」で補ってきた脆弱なものと捉え ※(5)、それを郊外化という言葉で呼んで警鐘をならしている。
 コンビニやインターネットや宅配サービスなどで何もかもが調達できるようになり、家族や地域といった人間関係の持つ意味合いが薄れてきた。その結果、行政に頼らない地域の相互扶助が姿を消し、個人は全くの剥き出しのまま危機にさらされることになる。
 このような状況の中で、個人の異質性や独立性を前提とし、言語を媒介としたつながりや関係性を重視する選択的な「都市型コミュニティ」といったものを作っていくことが日本社会の課題となってきている。既に、音楽やスポーツなどの共通の趣味を媒介にした趣味縁の人間関係が生まれたり、行政の手による市民講座ではない市民の自主運営による市民大学づくりや、地元商業圏の再活性化を目指す「町コン」など、新たなネットワークづくりや取り組みが注目されたりしてきている。これらはいずれの場合も、個人の自由意志に基づく参加を前提にした選択縁を基盤とした取り組みであり、自由を前提としながらもいかに持続的な信頼関係を作っていけるかが今後の課題である。
ボランティア活動によるコミュニティの活性化
 日本では、都市化・郊外化により、それまでの家族や地域といった物理的空間に拘束された人間関係は意味をなくし、コンビニやインターネットや宅配サービスなどで何もかもが調達できるようになった。その結果、地域の相互扶助が姿を消し、個人はまったくのむき出しのまま危機にさらされることになった。こうした孤立的状況の中、1995年の阪神・淡路大震災の際に注目されたのが、ボランティア活動であった。
 ボランティアは、他者のため・社会のために自ら積極的に行動していくことや、それに従事する人々を意味する。彼らの活動がコミュニティの活性化につながるとして、近年はさまざまな場でボランティア活動が行われている。
現代家族の問題
高齢社会問題
都市化
家制度(家族重視) → 家族機能の外部化
近代家族性別役割分業への異議申し立て
 晩婚化・少子化 → 新たな家族像の模索
介護保険制度などの高齢社会対策の整備
コミュニティ消滅 → ボランティア活動への期待
注釈
(1) 「ハレ」と「ケ」
人々は「ハレ」の日には、日常の労働をせずに、色鮮やかな晴れ着を着て、赤飯などのごちそうを食べ、酒を飲み交わし、非日常の世界を共有した。日常生活のエネルギーが枯渇することを「ケガレ」(=気枯れ)というが、「ケガレ」は「ハレ」の祭事によって回復するとみる説もある。
(2) 「ハレ」と「ケ」の対比
柳田国男は、ハレの日のみに食べていた特別な飲食を日常で食べるなどの「ハレ」と「ケ」の慢性化を問題にした。その意識に立てば、現在の都市化・消費社会化の中での日常生活は「慢性ハレ」の状態であり、逆に「ケガレ」から回復できないことになる。
(3) 農村型コミュニティ
集団の構成員が共通の帰属意識を持ち、相互扶助(支え合い)の意識が働いているような集団。
(4) 買い物難民問題
高度経済成長期に核家族のために造成された住宅街は、高齢化が進み独居老人が増えている。空住居が増えた住宅街からはスーパーが撤去し、独居老人の食糧購入に支障が生じている。
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