ARTHUR-AQUAMARINE's MEMO

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◇ 01 日本の思想の源流

  • 日本の風土の特色と日本人の生活の源流を理解しよう。
  • 日本人の信仰、生き方、自然観の特色を理解しよう。
  • 日本の文化、思想の特色についての主要な考え方を理解しよう。

① 日本の風土と日本人の生活

日本人の先祖の由来
(1) 日本人と日本文化の起源
 形質人類学と考古学によると、いわゆる大多数の日本人は身体の形質上の特徴からは、アイヌの人々、本土の人々 ※(1)、沖縄の人々の三種類に分かれるとされる。
 その成り立ちは、12000年前~2300(2400)年前頃までは、狩猟採集を中心とする縄文人が北海道、本土、沖縄に住んでいた。そこに2300(2400)年前頃、水田による稲作や、鉄や青銅などの技術や知識を携えた人々が朝鮮半島から渡来し、北海道と沖縄をのぞく本土で、縄文文化も取り入れて、弥生文化を形成した。同時に本土の縄文人は、水田を作り始めて弥生人となった。朝鮮半島経由で渡来した人々と縄文系の人々が混じり合って生まれたのが本土の人々で、渡来した人々は北海道と沖縄には渡らなかったと考えられている。
(2) 海上の道
 柳田国男は日本人の祖先の一群が、南海の島々を経ながら海上の道をやってきたと推測した。古代中国の南海地方の人々が宝貝(子安貝)を求めて、宝貝の宝庫であった沖縄の島々にやってきたという。その時、水田耕作に使われていた稲穂や穂種を持ってきたと考えた ※(2)
風土とは何か
(1) 風土
 『風土』をあらわした和辻哲郎は、風土とは単なる自然条件のことではなく、「自然条件に対して人間が取る態度の仕方、生活様式のことである」としている。
(2) 風土の分類
 和辻は世界の風土をアラビアに見られる砂漠型、ヨーロッパに見られる牧場型、東南・東アジアに見られるモンスーン型の三つに分類した。
自然が恵みではなく死の脅威をもたらす砂漠では、人々の生活様式は世界に対して対抗的・戦闘的なものとなる。ヨーロッパのように従順で扱いやすい自然のもとでは、人々は自然の中から容易に規則性を見いだし、自発的・合理的に自然を支配する生活様式を営む。
(3) モンスーン型の風土
 モンスーンとは暑熱と湿気を含んだ大洋からの季節風のことである。モンスーンは一方では大雨、暴風、洪水などの自然の暴威の面と、他方では動植物の成長をうながすという自然の恵みの面を持っている。そのため人々は自然の恩恵を素直に受け入れようとする受容的態度と、自然の暴威が過ぎゆくことをひたすら待つという忍従的態度を育てる。
《 風土の比較 》
風土の類型牧場型砂漠型モンスーン型
主な地域ヨーロッパアラビア南~東アジア
自然従順・規則性
(おだやか)
極度の乾燥
(きびしい)
高温湿潤・洪水暴風
(豊かで気まぐれ)
人間のあり方自発的・合理的対抗的・戦闘的受容的・忍従的
生産の様式農耕・牧畜遊牧農耕
(4) 日本の風土
 日本はモンスーン型に属するが、独特の特徴を持っている。日本のモンスーンである台風は、季節的ではあるが突発的にやってきて、すぐさま去っていく。そこでは静かなあきらめの感情が、ときに強烈な激情に転化するという二重性格を示す。こうした風土は、花見や武士道のいさぎよさに見られるように、感情的に一気に昂揚しながらも物事に執着しない(あきらめの良い)日本人の心情を生んだ。また日本の気候は四季がはっきりと分かれ、その上絶え間なく変化していく。そのため日本人は自然の小さな変化を見逃さない繊細さを持ち、また常に変化を求める心情を育てた。
風土 - 人間学的考察
 自分はモンスーン地域における人間の存在の仕方を「モンスーン的」と名づけた。我々の国民もその特殊な存在の仕方においてはまさにモンスーン的である。すなわち受容的・忍従的である。
 しかし我々はこれのみによって我々の国民を規定することはできない。(中略)大洋のただ中において吸い上げられた豊富な水を真正面から浴びせられるという点において共通であるとしても、その水は一方においては「台風」というごとき季節的ではあっても突発的な、従ってその弁証法(※相反する性質を照らしてより高次な結論を導く議論法)的な性格とその猛烈さにおいて世界に比類なき形を取り、他方においてはその積雪量において世界にまれな大雪の形を取る。かく大雨と大雪との二重の現象において日本はモンスーン域中最も特殊な風土を持つのである。それは熱帯的・寒帯的の二重性格と呼ぶことができる。
和辻哲郎 『風土 人間学的考察』 (岩波書店)
日本人の生活
(1) 稲作農耕
 高温多湿の夏の気候は水田稲作を中心とする農耕に適したものであった。稲作は田植えや灌漑用水路の建設・保持を含む水の管理、収穫など、村落を中心とする集団による共同作業を必要とした。そのために日本では個人を中心とした考え方よりも、集団の作業や意向、あるいは集団での人間関係を重視する態度が生まれた。
(2) 村落と生活
 稲作農耕を中心とする人々は、主として、平地の村落共同体で生活を営んでいた。平地は人間の領域であり、平地の周囲を区切る山や海は、見知らぬ他界に通じるものと考えられていた。他界は神や仏の世界であり、生命や霊魂はそこからやってきて、死後はそこへと帰っていく世界であった。春は他界から新たな生命力がもたらされるときであり、自然の四季の移り変わりは円環するととらえられていた。生と死はひとつながりのものであった。
(3) 外来の文化に対して
 日本人は外来の文化に対して寛容的で、どんなものでもこれを取り入れ、これと知的に対決するよりも、これを咀嚼することに重点をおく傾向がある。そこには日本人の共生の態度柔軟性が見られると同時に新しいものに対して厳しく対決して、これを吟味しながら真実を決定していこうとする態度に欠けるものがある。
日本人の自然観
(1) 自然との交流
 日本人にとって自然はそれを従わせることによって利用すべきものというよりも、そこにおいて私たちが生きる基盤のようなものであった。しかもその自然は決して抽象的に捉えたり、客観的に捉えられたりするものではなくて、私たちが様々な自然物との交流を通じて具体的な生活の中で身近に感じるもの、しかも何か奥深い、捉えきれないところのあるものであった。
 人々は自然の美しい姿や崇高な姿のうちに、自分たちの理想とする在り方をみた。『万葉集』には恋愛や日々の苦労を謳う歌とともに、自然の姿をそのまま謳うものも見られる。万葉の詩人たちが自然の姿をあらわすのに用いた「きよし ※(3)」や「さやけし ※(4)」は自然の純粋で透きとおった清らかさを表すとともに、人間の心の在り方の理想を表したものでもあった。
(2) おのずから
 自然には「おのずから」という意味もある。日本人は人為的な技巧(わざとらしさ)を避け、自然にものごとが成るのを好んだ ※(5)。ここでは自然はわれわれがそこから生じて、そこへ帰る根源に近い。人々は自然のうちに最後の安らぎを見いだしてきた。道元や良寛の歌 ※(6)の中には自然の計らいをそのまま受けて自足する姿が見られる。
日本人の起源
柳田国男海上の道
和辻哲郎の風土
モンスーン型砂漠型牧場型
日本の風土
温帯モンスーン型 = 二重性格
日本人の生活
稲作農耕 = 集団での人間関係を重視
注釈
(1) 本土
ここで用いている本土とは本州、四国、九州を合わせた地域のことである。
(2) 海上の道
柳田が海上の道を構想したのは、24歳の時に愛知県:渥美(あつみ)半島の伊良湖岬で黒潮に乗って遠い島から流れついた椰子の実を見たことがきっかけとなったというのは有名な話である。この話を聞いた友人の島崎藤村は『椰子の実』の詩を作り、『椰子の実』の歌ができた。
(3) きよし
万葉集の歌(巻7)
みな人の
恋ふるみ吉野
今日見れば
うべも恋ひけり
山川清み

【訳】
人はみな行ってみたいと願っている吉野。今日訪ねてみれば、なるほど、訪ねたいと願うはず。山も川も神々しくて。
(4) さやけし
万葉集の歌(巻3)
昔見し
象の小川を
今見れば
いよよさやけく
なりにけるかも

【訳】
昔見た象(さき)の小川を今見てみると、ますます清らかになっていました。
(5) 自然に成るのを好む
丸山真男は、日本神話の世界をキリスト教の「作る」に対して内在するムスビ(産霊)の霊力によって絶え間なく内発的になりゆく世界と捉えている。
(6) 道元や良寛の歌
春は花
夏ほととぎす
秋は月
冬雪さえて
涼しかりけり(道元)

【解釈】
自然なままが素晴らしいことを謳っている。

形見とて
なにかの残らすむ
春は花
山ほととぎす
秋はもみぢ葉(良寛)

【訳】
形見として私が残すとしたら、古里の山々に見られる春は桜花、夏はほととぎすの鳴く声、秋は紅葉であろう。
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