ARTHUR-AQUAMARINE's MEMO

メモ整理中。リンク貼り換え終了。読みかえし3章2まで中。


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◇ 01 日本の思想の源流

  • 日本の風土の特色と日本人の生活の源流を理解しよう。
  • 日本人の信仰、生き方、自然観の特色を理解しよう。
  • 日本の文化、思想の特色についての主要な考え方を理解しよう。

③ 日本人の倫理感

善と悪
 日本は古くから農耕、とくに水稲耕作を生活の基盤としてきた。こうした作業は共同体が協力してなす必要があったため、共同体を基盤とした倫理が発達した。『古事記』にはスサノオ ※(1)の神がなした「畔毀(あはなち) ※(2)「溝埋め」 ※(3)などが共同体の秩序を乱す重大な罪としてあげられている。古代でも「善悪」ということが言われた。しかし、それらはキリスト教のように、唯一神に対する取り返しのつかない罪としては認識されなかった。
 「善・悪」は「ヨシ・アシ」とか「ウルハシキ・キタナキ」と読まれた。「ヨシ・アシ」は「吉・凶」とも書かれ、人を利するものは「ヨキモノ」であり、害するものは「アシキモノ」であった。「ウルハシキ・キタナキ」は他者との関係あるいは共同体(全体)との関係における心の在り様とか動作の仕方をあらわしている。すなわち、自分の利益のみを計る行いは他人のうかがえない「クラキ心(黒心)」「キタナキ心(濁心)」のなすものであり、これに対して私心を捨てて共同体のために尽くす行いは「ウルハシキ心」「キヨキ心」「アカキ心」のなすものであった。
清明心(清き明き心)
 清き明き心(きよきあけきこころ)清明心(せいめいしん)とは、神に対して欺き偽る「キタナキ心」がないこと、神の意思にかない、神の意思と一致している心のあり方をいう。また共同体の意向に反して、自己の利益のみを考える「キタナキ心」を克服し、他者のために尽くす「清き心」、隠しごとや嘘偽りのない「明き心」を意味した。他者や道理など、さまざまな対象に私心を捨てて向かう時のありようとして、後の「正直」や「」の源流となった。
祓いと禊(みそぎ)
 古代人にとって、共同体の秩序を乱すことや病気や自然災害などの日常生活を脅かすものは、穢れと考えられた。こうした罪や穢れを取り除くのが祓いである。特に、水に浸かって罪や穢れを洗い清めることをと言った。
祓いと禊 (山形県 熊野大社:厄年祓い(上) / 京都府 葵祭:斎王代御禊の儀(下)
慈愛
 古代では、なごやかな心情やしめやかな心情をもととする「慈愛」が大切とされた。先のスサノオの不法に対してアマテラスは岩戸に隠れただけであった。またこの不法への罰則は「八百万神」の会議によって決められた。私の立場での刑罰や復讐をよしとしない態度で、全体の立場に立った社会的正義が尊ばれたのである。村落共同体から国家におけるまで、統治者には人々に慈愛を施すことと全体的意志の現れである社会的正義を実現することが求められた。
日本人の倫理感
清き明き心けがれ祓い
注釈
(1) スサノオ
古事記と日本書紀の神話によるとスサノオ(須佐之男)はアマテラス(天照大神)の弟で、高天原を追われてナカツクニに降って国土を拓いたが、その子孫オホクニヌシの命は天孫に国土をささげて服属したという。
(2) 畔毀(あはなち)
畔放:田の堺を乱したり、水を引くための堺を取り放ったりして、水を湛えることができないようにすること。湛えておくべき水を干してしまうこと。
(3) 溝埋め
田に水を引く溝を埋めてしまうこと。
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