ARTHUR-AQUAMARINE's MEMO

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◇ 02 仏教の伝来と展開・発展

  • 仏教伝来から律令時代における仏教の受容の特色について理解しよう。
  • 平安時代における仏教の展開について理解しよう。
  • 平安時代末期から鎌倉時代における仏教の展開について理解しよう。

③ 仏教の展開

平安仏教の展開
 奈良時代も末期になると、東大寺をはじめとする大寺院の力が強まった。桓武(かんむ)天皇は仏教界の改革をはかって都を京都に移した。奈良仏教に代わる新しい仏教を伝えたのが、唐に渡って天台数学を学んだ最澄密教を学んだ空海である。彼らはともに鎮護国家を掲げながらも、山岳における修行と学問を重んじ、日本仏教に清新な気風を吹き込み、後に鎌倉仏教に受け継がれる素地を作った。
 平安時代には密教が盛んになった。密教は、加持祈祷(かじきとう)と呼ばれる呪法によって鎮護国家や現世利益を願うもので、荘園の発達とともに貴族社会に急速に広まった。
最澄と天台宗
(1) 大乗戒
 最澄は比叡山延暦寺(えんりゃくじ)を建て、天台宗 ※(1)を広めた。官僧の俗化を嘆いた最澄は延暦寺に新たに大乗仏教の戒壇を設け、そこで大乗菩薩戒 ※(2)のみによって受戒し、12年間、比叡山にこもって学問・修行を積む制度を目指した。そのために最澄は大乗戒壇の設立を許可するように朝廷に訴えて、『山家学生式(さんげがくしょうしき)』を著した。またこれに反対する南部の諸宗に対しては『顕戒論』を著すなどして、正当性を主張した。
(2) 一乗思想
 人間には大乗の菩薩のほかに、小乗の声聞(しょうもん = 仏の教えを聞いて悟る者)と縁覚(えんがく = 仏の教えを聞かなくても、自ら縁起の理を体得して悟る者)がおり、彼らの悟りはそれぞれ別である ※(3)。こうした考えに対して、すべての人が同じように仏の悟りを得られるというのが一乗思想である。最澄は、いっさいの成仏を説く『法華経』などに基づいて、生きとし生けるものはすべて仏になる素質を持っているとする「一切衆生悉有仏性(いさいしゅじょうしつうぶっしょう)」の考えから一乗を主張した。
《 滋賀県 大津市 比叡山:延暦寺 》
(3) 真俗一貫
 最澄が目指した大乗戒は従来の戒律に比べて緩く、在家向けのものであった。それを最澄は出家者に用いた。そこでは、出家者も在家者も同一の戒による「真俗一貫」の立場が表れている。このような現世との接近は、その後、煩悩と悟りは同じ(煩悩即涅槃)とする本覚思想のような現世主義的な独特の思想を生むこととなった。
 『法華経』の教えを中心に据え、四宗(円・戒・禅・密) ※(4)を融合した天台宗は、以後、日本の仏教の中心となり、多くの僧を集めるようになっていった ※(5)
空海と真言宗
(1) 真言
 空海は最澄と同時に唐に渡り、青龍寺(西安市)の恵果(746~806)に真言密教を学んで、2年後に帰国、高野山に金剛峰寺(こんごうぶじ)を建てて真言宗を開いた。真言とはサンスクリット語のマントラを漢字に訳したもので、密教では仏の力を象徴する秘密の言葉を意味している。
《 和歌山県 高野山:金剛峰寺(根本大塔(左)・奥の院(右)) 》
kongoubuji
《 胎蔵界曼荼羅 》
《 金剛界曼荼羅 》
《 即身成仏と即身仏の違い 》
即身成仏 = この身のまま仏となること
即身仏 = 衆生救済のため活動した僧が死後も衆生救済を願いミイラとなること
(2) 密教
 空海は顕教と密教を区別した。顕教は衆生の求めに応じて分かりやすく説いた教えであるのに対して、密教は究極の仏そのものである法身仏(ほっしんぶつ)が、最奥の真実を直接語ったものである。空海は『秘密曼荼羅十住心論(ひみつまんだらじゅうじゅうしんろん)』において、心の発展を十段階に分けて、顕教から密教への進展に説いている。
(3) 曼荼羅
 空海は大日如来 ※(6)こそ究極の仏である法身仏であるとする。大日如来は宇宙の本体であり、この世界の万物・万象は大日如来のあらわれである。この大日如来を中心に諸仏を配置し、象徴的・感覚的に、現象的に世界の構造を把握できるようにしたものが曼荼羅である。空海は慈悲をあらわす胎蔵(たいぞう)界曼荼羅と知恵そのものをあらわす金剛(こんごう)界曼荼羅(2つを合わせて両界(両部)曼荼羅という)を伝えた。
(4) 即身成仏
 即身成仏とはこの身のままに仏となること、現世で仏の悟りを開くことをいう。空海によれば、三密身密・口密・意密)の行を修することによって、すなわち具体的には、手指に印契(いんげい)を結び、口に真言を唱え、意(心)が仏を念じて三昧の境地に至れば、即身成仏が実現する、という。この時、仏の慈悲や宇宙万物の生命力が人に加わり、他方では人が是を受け止めること(持)によって、人と仏の一体化が成り立つとされる。
(5) 神仏習合
 日本固有の神々への信仰と仏教が融合することを神仏習合という。神々は衆生と同じく神々の世界で苦しむ存在であり、それが祟りや災難を生む原因であるとされた。仏が神を救済することによって、これらの祟りや災難を取り除くと考えられた。
 こうした考えに基づいて、多くの神社に寺(神宮寺)が置かれ、神前で読経が奉納され、寺には鎮守の神が祭られた。平安時代には、仏が本地(本体)で、神は垂迹(すいじゃく)(本体が仮に姿を変えてあらわれたもの) ※(7)とする本地垂迹説が現れた。やがて鎌倉時代になると、神を本地とし、仏が垂迹であるとする反本地垂迹説が唱えられるようになった ※(8)
平安仏教の特色
山岳修行と学問を重視
最 澄
天台宗を創始し、比叡山に延暦寺を建立、大乗戒壇の設立
天台宗
一乗思想、一切衆生悉有仏性
空 海
高野山に金剛峰寺を建立、真言宗を創始
密 教
大日如来を信仰
加持祈祷)による即身成仏
注釈
(1) 天台宗
天台宗の教義は隋の智顗(ちぎ)(538~597)が確立したもので、『法華経』を中心とする理論と止観という実践を含んでいる。
(2) 大乗菩薩戒
鑑真が伝えた戒は部派仏教に基づいた「具足戒」であった。最澄はこれを大乗仏教の「梵網戒」によって受戒するよう改めたのである。
最澄 - [767~822]
 近江の国に生まれる。東大寺の戒壇で具足戒を受ける。その後比叡山に入って12年間にわたって修行を続けた。38歳の時天台の教えを究めるため、入唐し、天台山で天台数学・大乗戒・禅・密教を学んだ。帰国後、比叡山に延暦寺を建立して天台宗を開いた。すべての人が往生できるという一乗思想をめぐって法相宗の徳一と論争した。伝教大師と言われる。著書に『山家学生式』『顕戒論』がある。
(3) 大乗の菩薩・小乗の声聞と縁覚
この考えを三乗と言う。乗は乗り物の意味で、悟りに至る乗り物、悟りに至る道は三つあるというのが三乗の主張である。
(4) 四宗
四宗のうち、円は円教すなわち円満完全な教え、戒は戒律、禅は禅の行法、密は密教を意味する。
(5) 天台宗
天台宗では、最澄の弟子円仁などによって密教化が進められ、真言宗の「東密」に対いて「台密」と呼ばれた。
空海 - [774~835]
 讃岐の国に生まれる。大学の明経科に入るが、のち大学を去り、山林での修行に身を投じる。遣唐使に随行して入唐、青龍寺の恵果から密教を学び灌頂を受ける。帰国後真言宗を広める。高野山に金剛峰寺を建立し、京都に東寺を賜り、これを教王護国寺と名付けて鎮護国家の真言道場とした。綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を開いて人々の教育にも力を尽くした。弘法大師と諡(おくりな=死者に送る名)される。著書に『三教指帰』『十住心論』『即身成仏義』などがある。
(6) 大日如来
大日如来の大日は、マハ・ヴァイロチャナ(摩訶毘盧遮那=マハー・ビルシャナ)の意訳で、マハは大ということ、ヴァイロチャナは太陽あるいは光明遍照の意味である。如来は仏という意味である。
(7) 垂迹
平安時代には天照大神は大日如来が仮の姿であらわされたもの(垂迹)とされ、八幡神は阿弥陀如来の垂迹とされた。
(8) 反本地垂迹説
反本地垂迹説は鎌倉時代の蒙古襲来をきっかけとした神国思想の出現と共にあらわれた。鎌倉末期にあらわれた伊勢神道は神主仏従の反本地垂迹説を唱えた。
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