ARTHUR-AQUAMARINE's MEMO

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◇ 05 民衆の思想

  • 民衆の思想が形成された背景と基本的な考え方を理解しよう。
  • 町人の思想について理解しよう。
  • 安藤昌益と二宮尊徳の思想の違いについて理解しよう。

① 町人の思想

町人文化
 江戸時代の身分制のもとでは町人は社会的に軽んじられていたが、貨幣経済の発達にともなって経済力を蓄え、17世紀の後半になると上方を中心に独自の町人文化を形成するようになった。
井原西鶴(いはらさいかく)(1642~1693)
 浮世草子において、中世の「憂世」とは異なる浮世、享楽的現世を生きる人々の姿を描いた。井原西鶴は作品の中で、金銭や恋愛にまつわる町人の姿をあからさまに描き出し、封建制という社会制度の中で生きる浮世の人間をとらえた。西鶴の作品には、自己の人間性の解放を性において求める好色物と自己の知恵才覚によって町人としての地歩を築いていく町人の生き生きとした姿を描いた町人物がある。前者の作品に『好色一代男』、後者の作品に『日本永代蔵』『世間胸算用』などがある。
近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)(1653~1724)
 近松門左衛門は歌舞伎、浄瑠璃の脚本作家で、とくに、心中を題材とした世話物で、義理と人情の葛藤に悩む人間のありさまを描いた。作品に『心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)』『曾根崎心中』などがある。
西川如見(にしかわじょけん)(1648~1724)
 長崎の町人の家に生まれた西川如見は、町人には町人としての生き方があることを自覚せよと説いて「ただ此町人こそ楽しけれ」と町人の生き方を積極的に肯定した。
鈴木正三(すずきしょうさん)(1579~1655)
 鈴木正三は三河の武士の出身であるが、42歳の時突然出家し、諸国行脚して禅の修行を積んだ。正三は仏法も世法(世俗倫理)も理を正し、義を行って、正直の道を用いる点においては同じであるとした。また士農工商のそれぞれがその職分を果たすことは仏行にほかならないという職分仏行説を唱えた。売買の利益によって生活する商人に対して肯定的な態度が取られなかった時代にあって、正三は、売買をしようとする人は、まず利得を増すよう心遣いを修行すべきである、と利益の追求を肯定した。著書に『萬民徳用(ばんみんとくよう)』がある。
富永仲基(とみながなかもと)(1715~1746)
 富永仲基 ※(1)は、思想は歴史的に発展するとして、前代の思想の上にそれを超えようとして後代の思想が新しい要素を付け加えて行くという加上説を唱えた。この説を仏教経典に応用したのが『出定後語(しゅつじょうごご)』で、仏教の経典がすべて釈迦の説いたものだというのは誤りで、釈迦の説に順次付け加えられて(加上)、新しい経典が作られたと主張した。この主張は当時日本で信仰されていた大乗仏教経典は仏陀の説いたものではない(大乗非仏説)ということになり、仏教の根底を揺るがすものであった。
三浦梅園(みうらばいえん)(1723~1789)
 三浦梅園の思想は条理学と称される。条理とは陰陽であり、陰陽は相反していてしかも合するものである。その条理をたずねる方法が反観合一である。すなわち相反するもの同士を照らし合わせて観、その合一するところを観ることによって、物事の真相を知るというのである。そのためにはあらゆる予断と不用意な偏見から自由でなければならないと説いた。
石田梅岩(いしだばいがん)(1685~1744)
 石田梅岩は丹波の農家に生まれ、京都の商家で丁稚奉公をし、奉公の傍ら独学で神道・儒学・仏教を学んだ。梅岩は商人としての経験をもとに、儒教を中心に仏教・神道などの思想を取り入れて、町人としての道を説き、体系的な思想を形成した。梅岩は平易な講話を通して語り、その教えは石門心学とよばれて、町人層を中心に広まった。
(1) 営利活動の肯定
 梅岩は、士農工商の四民は人間としてすべて平等であり、職分によってその別があるに過ぎないとし、商業は物の物流をはかるという社会的意義をもっており、「商人の買利(利益)は士の禄(俸禄)に同じ」と主張した。梅岩は封建体制のもとで、強欲で道を知らないと非難された商人の営利活動を肯定し、物を売って利益を得るのは、天道にかなった商人の道であるとした。
(2) 正直と倹約
 梅岩は町人が守るべき道徳として正直と倹約を説いた。正直とは利己心を交えず、あるべきようにとりはからうことで、商人としては正しい仕方で利益を得、自分も相手も共にうまく立ち行くようにすることである。倹約とは単に物惜しみすることではなく、物の効用を発揮させて、世間のために用いることである。梅岩は不正に利益を得ようとする商人を批判し、「実(まこと)の商人は先も立ち、我も立つことを思ふなり」 ※(2)と説いた。
注釈
富永仲基 - [1715~1746]
 富永仲基は大阪の町人出身で、大阪の町人たちによって創設された懐徳堂で学んだ。
(1) 富永仲基と山片蟠桃(やまがたばんとう)
富永仲基と共に懐徳堂で学んだ思想家に山片蟠桃がいる。蟠桃は霊魂の存在を否定した無鬼論を説いた。
三浦梅園 - [1723~1789]
 三浦梅園は、豊後(大分県)に生まれる。23歳の時に長崎に遊学した以外はほとんど郷里にとどまり、思索と著述を行った。著書に『玄語』がある。
(2) 梅岩の商人批判
本当の商人は相手も成り立ち、自分も成り立つことを考えるものだ、ということ。
石田梅岩 - [1685~1744]
 丹波の農家に生まれ、42歳まで京都の呉服商に奉公し、かたわら「人の人たる道」を求めて広く読書に励み、朱子学・仏教・神道を学んだ。43歳の時に小栗了雲に巡り会い、自らの心さえ分からずに人の師たろうとする生き方についてたしなめられ、修行に励んで、自己の心と天地の心との一致を悟ったという。45歳の時に京都の車屋町に席料無料の講席を設け、自己の思想を講義した。著書に『都鄙問答(とひもんどう)』『斉家論』がある。
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