ARTHUR-AQUAMARINE's MEMO

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◇ 06 西洋近代思想の受容

  • 明治維新前後の西洋文明の受容の仕方について理解しよう。
  • 啓蒙思想について理解しよう。
  • 自由民権の思想について理解しよう。

③ 自由民権の思想

自由民権運動
 征韓論に敗れて下野した板垣退助らが1873(明治7)年国会開設を求めて民撰議院設立の建白書を政府に提出したことに始まる。これ以後10数年に渡って、国民の「自由」や「権利」を巡っての自由民権運動が起った。はじめは政府に不満を持つ氏族層が中心であったが、やがて地租の軽減を求める地主層も加わり全国的な運動へと広がった。
《 板垣退助 》
中江兆民(なかえちょうみん)
(1) 自由民権思想
 人民の自由と権利の伸張を説いた思想。ミル・スペンサーに代表されるイギリス系の民権思想と中江兆民によって導入されたルソーに代表されるフランス系のより急進的な民権思想とがあった。明六社に所属した啓蒙思想家は大半が前者で、官民調和を説いた。中江兆民や植木枝盛らは後者で国民の抵抗権・革命権を主張した。
(2) 東洋のルソー
 政府の留学生としてフランスに留学した中江兆民は、帰国後ルソーの『社会契約論』を『民約訳解』として翻訳紹介して、自由民権運動に大きな影響を与えた。彼は東洋のルソーと呼ばれた。
(3) 恢復(回復)的民権と恩賜的民権
 兆民によれば、民権には為政者が人民に恵みあたえる「恩賜的民権」と人民が自分で獲得する「恢復(回復)的民権」の二つがある。兆民は理想としては「恢復的民権」を求めていたが、日本の現実においては、たとえ前者として与えられたとしても、実質的に後者の民権に変えてゆくことが大切である、とした。
恢復的民権と恩賜的民権
 民権なる者は、自ら二種有り。英仏の民権は恢復的の民権なり、下より進みて之を取りし者なり。世また一種恩賜的の民権と称すべき者あり、上より恵みて之を与うる者なり。恢復的の民権は下より進取するが故に、その分量の多寡は我れの随意に定むる所に非ざるなり。
中江兆民 『三酔人経綸問答』
(4) 植民地政策批判
 兆民は西洋から摂取した民権の思想によって、「民権之至理(これしり)なり、自由平等之大義なり」(民権は究極の道理であり、自由平等は大いなる正義である)と民権の普遍性、世界共通性の立場から、西洋諸国のアジア・アフリカの植民地化政策を批判した。
(5) 自省の能
 晩年、兆民は、当時の社会の在り方と日本人の生き方を痛烈に批判し、今後必要とするのは、豪傑的な偉人よりも哲学的な偉人である、とした。彼は哲学の根底に自分が今何をしつつあるか、何を考えつつあるかを自省する能力である「自省の能」をおいた。
植木枝盛(うえきえもり)
 植木枝盛は主著とも言うべき『民権自由論』に基づいて、多方面にわたって民主主義論を展開した。彼の国家構想を凝縮して示した作品が私擬憲法東洋大日本国国憲按」である。そこでは中央集権制に対して聨邦性(れんぽうせい)が打ち出され、民主主権基本的人権の保障が主張されている。人権の条項では、思想・信仰・言論・集会・結社・住居・移動・職業などの自由のほか、死刑の廃止や抵抗権・反乱権・国籍離脱権などが述べられている。
足尾銅山鉱毒事件
 足尾銅山鉱毒事件は二つの局面に分かれる。一つは渡良瀬川(わたらせがわ)流域の鉱毒の問題であり、他はこの問題を解決するために谷中村を遊水池にしようとしたことである。これらの問題に対して、田中正造は帝国議会でたびたび質問し、被害民と共同歩調をとり、天皇への直訴も行った。さらに、水没してゆく谷中村の住民となった。田中は、当初古河鉱業と政府の癒着、田畑の荒廃による被害民の資産や収入の減少を指摘していたが、やがて生命が損なわれていることの自覚をもち、人権・人道・人類の問題としてとらえるようになった。
《 田中正造 》
自由民権運動
板垣退助、民撰議院設立の建白書
中江兆民
東洋のルソー『民約訳解』恢復的民権恩賜的民権
植木枝盛
私擬憲法「東洋大日本国国憲按」
注釈
中江兆民 - [1847~1901]
 土佐藩の足軽の子として生まれた。1865年長崎に出て、フランス語を学び、その後江戸で官立学校の仏語教師となる。のちフランスに留学し、帰国後仏蘭西学舎を設立し、自由主義思想・共和主義思想を教えた。東洋自由新聞を創刊し、人民の抵抗権・革命権を主張して民権左派の理論的指導者となる。また、ルソーの『社会契約論』の漢訳・解説を『民約訳解』として刊行し、「東洋のルソー」とよばれた。喉頭癌のため余命1年余を宣告されたが「民権是れ至理也」を主張し続けた。門人に幸徳秋水(こうとくしゅうすい)らがいる。著書に『三酔人経綸問答』『一年有半』『続一年有半』などがある。
植木枝盛 - [1857~1892]
 植木枝盛は土佐藩の下級武士の家に生まれる。板垣退助の演説を聞いて、自由民権思想に目覚めた。彼は国とは人民が集って成ったもので、政府によってできたものではないと言っている。著書に『民権自由論』がある。
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