ARTHUR-AQUAMARINE's MEMO

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◇ 07 明治国家体制と近代思想の日本的展開

  • 国家主義の思想について理解しよう。
  • キリスト教の日本的受容について理解しよう。
  • 文学者による近代的自我の確立について理解しよう。

① 国家主義の思想

欧化と国粋
 1880年後半から政府は内閣制度の樹立(1885年)、学校制度の整備(86年)、憲法発布(89年)、教育勅語の制定(90年)、帝国議会の開設(90年)と、一気に大日本帝国の骨格を造りあげた。この時期、鹿鳴館に象徴される欧化主義への批判をきっかけとして、日本の近代化を総括し、これからのあり方を考えようとする機運が高まった。平民主義は、鹿鳴館的風潮を「貴族的欧化主義」と批判し、自らを「平民的欧化主義」と名付け、国粋主義は欧化主義に対して国粋保存を主張した。
国粋主義
 三宅雪嶺(みやけせつれい) ※(1)志賀重昴(しがしげたか)らは政教社を結成し、雑誌『日本人』を創刊して、国粋主義を主張した。国粋とは国の特色を生かすということであり、そこには、日本の近代化を、西洋への同化の方向にではなく、西洋の文物を選択的に摂取することによって日本への同化の方向にもたらそうとする構想があった。
 三宅雪嶺は『真善美日本人』で、日本人の任務を「大いにその得能(得意とする能力)を述べて、白人の欠陥を補い、真極まり、善極まり、美極まる円満幸福の世界に進むべき」ところにあるとし、また日本人はその能力を持っていると説いた。
国民主義
 陸羯南(くがかつなん)は新聞『日本』を発刊して、諸外国に対しては「国民の独立」を意味し、国内においては「国民の統一」を意味する国民主義を主張した。陸は「近時政論考」という論説を本篇とし、補遺と付録を収めた『近時政論考』を単行本として刊行した。
徳富蘇峰(とくとみそほう)
 同志社で新島襄(にいじまじょう)に学んだ徳富蘇峰は1887年に民友社を設立。「政治社会経済乃文学之評論」と銘打った総合雑誌『国民之友』を発刊し、平民主義を唱えた。徳富蘇峰は「天下の大勢」は武備社会から生産社会へ、貴族社会から平民社会へ移りつつあるという歴史認識に基づいて、古い世代である天保の古老に代わって、明治の青年こそが新しい日本を築く主体と成るべきと主張した。
 蘇峰は政府の専制政治に対しては平民主義と自由主義を主張し、復古主義や国粋保存主義に対しては欧化主義を主張した。ヨーロッパの平民主義も日本に輸入すると貴族的なものとなってしまったとして現状を批判し、平民的欧化主義を唱えた。
 しかし、日清戦争を機に自らのいう「帝国主義」の立場を取るようになり、三国干渉以後国家主義を主張するようになった。
岡倉天心 ※(2)
 明治になり西洋画が入ってくると、伝統的な絵画は急速に顧みられなくなった。東京大学のお雇い教師であったフェノロサに学んだ岡倉天心は東京美術学校校長として、後には日本美術院を創設して「日本画」の革新と振興に努めるとともに、東洋と西洋を視野に収めた文化論を展開した。
 天心は『東洋の理想』において、「アジアは一つ」として、特殊的なものに執着して、人生の目的ではなく手段を探し求めることを好む西洋人に対して、アジア民族には究極と普遍を求める広大無辺の愛が共通の思想的遺産としてある、と述べた。
教育勅語
 正式には「教育ニ関スル勅語」である。1890(明治23)年に発布され、その後敗戦まで日本の教育の基本指針となった。天皇中心の国家に対して「忠良な臣民」を育成するという目的で出された。前年に発布された大日本帝国憲法と相まって近代日本の天皇制を支える根幹となった。明治政府の儒教復古的および国家主義的傾向を体して、天皇側近の元田永孚(もとだながざね)らが作成した。忠・考・友・和・信・恭倹・博愛・習学・修業・知能啓発・公益・世務・国法の遵守などの徳を説いているが、これらはすべて国家および天皇に奉仕するためのものであり、また天皇の祖先から伝わった遺訓として、古今内外を通じて変わらずに遵守すべきものとされた。勅語は、聖旨として特別の権威を持ち、天皇の「臣民」である国民が絶対に帰順すべき道徳的規範を示すものであった。
注釈
(1) 三宅雪嶺(1860~1945)
三宅雪嶺は石川県に生まれる。東京の開成学校(後の東大)で哲学を学び、文部省に勤めたが、辞めて在野で活動した。明治政府の進める欧化主義に反対して国粋保存を主張した。著書に『真善美日本人』『偽悪醜日本人』がある。
徳富蘇峰 - [1863~1957]
 熊本で生まれ、同志社大学などで学んだのち、自由民権運動に参加した。上京して国友社を設立し、雑誌『国民之友』を発刊した。平民主義を唱えたが、日清戦争後は国家主義を主張した。主著は『近世日本国民史』。
(2) 岡倉天心(1862~1913)
岡倉天心は東京に生まれる。大学卒業後フェノロサとともに古美術の調査を行って、日本美術の信仰と刷新をはかった。『東洋の理想』や『茶の本』を英文で著し、日本文化を海外に紹介することにつとめた。
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