ARTHUR-AQUAMARINE's MEMO

メモ整理中。リンク貼り換え終了。読みかえし3章2まで中。


TOPスポンサー広告 ≫ 第3章 日本人としての自覚 >> 08 市民社会の形成と近代思想の発展 >> ① 市民社会の形成と市民の誕生TOPETHICS AND PHILOSOPHY ≫ 第3章 日本人としての自覚 >> 08 市民社会の形成と近代思想の発展 >> ① 市民社会の形成と市民の誕生
Edit
Edit

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | | Comments(-) | Trackbacks(-)
Edit
△ TOP
Edit
Edit

◇ 08 市民社会の形成と近代思想の発展

  • 市民社会の成立を背景として生まれた社会運動の思想を理解しよう。
  • 個人を原理とする思想の発展について理解しよう。
  • 社会のゆきづまりの中でどのような思想が模索されたか理解しよう。

① 市民社会の形成と市民の誕生

大正デモクラシー
 大正時代を中心として、民主主義的機運が高まり、政治・思想・文学などの各方面で、従来の価値観が見直されるとともに、個性を尊重し、自由や平等を求める風潮が起こった。この風潮を大正デモクラシーと呼んでいる。
 旧制高校生によく読まれた『三太郎の日記』を著した阿部次郎は、古今東西にわたる文化、文学、美術などを幅広く摂取して人格の発展をはかる人格主義を唱えた。武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)有島武郎(ありしまたけお)志賀直哉らの白樺派 ※(1)の人々は、自己の個性を自由に伸展させることを説き、個人主義と人道主義に基づいた理想主義を主張した。
吉野作造(よしのさくぞう)
 吉野作造 ※(2)は論説「憲政の本義を説いて其の有終の美をなすの途を論ず」で民本主義を唱えた。民本主義はデモクラシーの訳語であるが、吉野の言葉によると、デモクラシーには二つの意味がある。第一には国家の主権は国民にあるという意味で、この意味ではデモクラシーは危険な学説となるので、これを取らない。これに対して、第二の意味では、国家体制が君主制であるか共和政であるかは問題ではなく、主権者は主権を運用するに際しては、政治の目的を一般民衆の幸福におき、政策の決定が一般民衆の意向によることを方針とする。この第二の意味のデモクラシーが民本主義である。これを実現するためには言論の自由の尊重と選挙権の拡張が必要だと主張した。
河上肇(かわかみはじめ)
 河上肇は絶対的非利己主義の実現を目指す人道主義者であったが、『貧乏物語』でいかに多くの人が貧乏しているか、なぜ多くの人が貧乏しているか、どうやって貧乏を根本から治すことができるかについて明快に説いた。河上は、貧乏を社会の大病ととらえ、貧乏を解決することが社会の基盤を固くし、国家の根本を養う所以であるとした。また貧乏の克服を富者の奢侈廃止に求めた。後にマルクス経済学に傾斜していった。
婦人運動
 女性は長い間、常に社会から遠ざけられ、家や男性に従属する存在であった。女性解放の運動は岸田俊子(1863~1901)や福田英子(1865~1927)らが自由民権運動期に女性の権利を訴えたことに始まる。その後、家や社会通念に縛られない生き方を主張する女性が現れた。与謝野晶子は1901年に歌集『みだれ髪』を出版し、奔放な情熱や官能を大胆に歌った。また日露戦争に際しては、戦争に従軍していた弟に対して「君死にたまふことなかれ すめらみことは戦ひに おほみずからは出でまさね」と反戦を歌った。
 1911年(明治44年)、平塚らいてうは、女性だけで結成された青鞜社(せいとうしゃ)の雑誌『青鞜 ※(3)創刊の辞で、「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他によって生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である」と宣言し、男性中心の社会を批判し、独立と個人としての女性の解放を訴えた。また市川房枝(1893~1981)らとともに新婦人協会を結成し、婦人参政権運動を進めた。
《 雑誌:青鞜 》
部落解放運動
 1922年(大正11年)に「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と訴える、西光万吉によって起草された水平社宣言が出され、全国水平社が創立された。
大正デモクラシー
市民による民主主義的政治運動
吉野作造
民本主義
河上肇
貧困問題、『貧乏物語
平塚らいてう
『青鞜』の発刊
注釈
(1) 白樺派
人道主義・理想主義を標榜し、文芸雑誌『白樺』を発刊した。学習院出身の上流階級の若い知識人が結成し、大正期文学の主流をなした。
(2) 吉野作造(1878~1933)
宮城県に生まれる。二高入学後にキリスト教に入信。東京帝国大学に進学後、牧師海老名禅正から決定的な影響を受ける。大学で政治学を担当するかたわら、雑誌『中央公論』に諸論文を発表した。民主主義の立場に立ち、大正デモクラシー運動に大きな影響を与えた。
河上肇 - [1879~1946]
 山口県に生まれる。京大で経済を教えるかたわら『貧乏物語』を新聞に掲載し、人道主義・改良主義の立場から貧乏の実体、原因、解決策を論じた。のちマルクス主義に進んだ。
平塚らいてう - [1886~1971]
 東京に生まれる。日本女子大を卒業後に青鞜社を結成し、日本の女性解放運動の中心的役割を果たした。
(3) 青鞜
青鞜は Blue Stocking の訳。創刊時の表紙は長沼千恵子が描き、巻頭には与謝野晶子の詩が載った。青鞜は1916年2月まで続き、52冊発行された。
Edit
△ TOP
TOP <<PRE ENTRY NEXT ENTRY>> TITLE LIST HOME
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。