ARTHUR-AQUAMARINE's MEMO

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◇ 05 合理論の展開

  • デカルトにおけるコギトと神の関係、物心二元論について理解しよう。
  • スピノザの神即自然の考え方と身心平行論について理解しよう。
  • ライプニッツのモナド論と予定調和説について理解しよう。

③ スピノザ - 身心平行論

唯一の実体としての神 - 神即自然
 デカルト哲学は、神と精神と物体の三つを「他のものに依存せずに存在する」実体であるとした。このように実体が複数存在することは、実体の定義に矛盾することになる。スピノザは、デカルトが一旦実体であると認めた精神に不完全性を見て、その上位に神という実体をおいたことを特に問題視した。
 スコラ哲学では、神が実体であることは疑う余地のないものとされていたが、スピノザはそれまで神と呼ばれてきたものの概念を考察し直し、それが唯一の実体であることを『エチカ(Ethica:倫理学)』において幾何学のように証明してみせた。

 真の実体とは、他のものに限界付けられない無限なものであり、他のものの概念を必要としない<自己原因>であり、第一の最高原理である。このような究極の実体が神であるが、神を人格を持った超越神と考えてしまうと、創造主としての神と被造物としての世界という二重の実体を考えることになってしまう。
 よって、神とは自然界の外部にある原因ではなく、自然に内在する存在として「神即自然」と表現される ※(1)。神は自身を生み出して世界となったので、世界は神そのものである。自己原因としての神は<能産的自然>であり、神を原因としてのみ存在しうるのが<所産的自然>なのである。このように唯一の実体である神は一切のものを生じさせる無限の属性を持つものである ※(2)

 神の無限の属性のうち、人間が知りうる属性が思惟延長(量的・空間的拡がり)であるが、生じた一切のものには神という原理が含まれている(=汎神論)。
 しかしながら、神は知性や意志をもった制作者ではない。神はいわば幾何学そのものである。存在するものすべて、すなわち無限に多くの様態 ※(3)は、神の本性の必然性から論理的に帰結されたものである。
 では、どのように神という無限から有限(様態)が生まれるのか。有限は神から直接生まれるのではない。原因と結果のように、有限は一つ前の有限から生まれる。この有限も、また一つ前の有限から生まれる。しかし、有限をどこまで遡っても全体を俯瞰するような位置に立つ神に辿り着くわけではない。スピノザの神は、このような原因と結果の連鎖の細部に偏在しながら、無限平面をびっしりと這い回り、異なる無数の属性ごとに自らを反復し、一挙にそれらすべてであるような存在なのである。
自由意志の否定
 複数の実体が否定されたことにより、人間本性を含めこの世界から偶然が排除され、この世界は必然性のみで動いているということになった。よって、自然の一部である人間の意識や感情も、自然の必然性のもとで考察されることになる。人間は実体ではない。われわれが「意志」と思うものは、神の観念にすぎず、それとは別の物事の究極原因となりうる「意志」など持つことはできない。
 スピノザは、「意志」は本来知覚や認識の下にあると考えた。「意志」と称するものは、逆に知覚が不十全であったり認識が欠如していたりするにもかかわらず、決定が促される場合に問われるものにすぎないのである ※(4)
道徳からエチカへ - 身心平行論
 どの物事も神の属性がある一定の仕方で表現された様態であり、必然的な結論として生み出されてきたものである。肯定されこそすれ、否定されるいわれはない。よって、自己肯定の衝動をごまかしては徳にも幸福にもいきつけない。
 よって、自己の外部からもたらされる道徳ではなく、自己肯定の上に立つエチカ(=倫理)が問題になってくる。
 延長属性の様態が物体=身体として、思惟属性の様態が精神=身体の観念として、表現されているのが人間である。心身ともに神の性質の一つであるので、スピノザは結果的に身心平行論の立場をとることになる。この両属性は絶対的な神のもと、次のような並行関係として動いていく。
精神が能動的なら、身体も能動的。喜び。よい ※(5)。
自由
精神が受動的なら、身体も受動的。悲しみ。わるい。
隷属
「永遠の相の下に」
 スピノザは、万物を経験に依存した偶然としてではなく、絶対無限の存在者である神との必然的関係において「永遠の相(=神の必然性)の下に」認識したとき、そこに理性の最高の働きと幸福があると主張した。自分の人生も、自由意志が否定された永遠の目を通して許してやることができれば、たいていの個人的な悩みには耐えられるはずである。喜びや満足も目先の快楽やうぬぼれではなく、自己を神の無限の自己肯定の一部として感じられることが、最高の幸福、自由である。
注釈
スピノザ
- Baruch de Spinoza [1632~1677]
 ユダヤ系オランダ人。キリスト教徒による弾圧を受け、ポルトガルからオランダに移住してきた由緒在るユダヤ人の家系に生まれる。父親は裕福なアムステルダムの商人であった。ユダヤ人学校でヘブライ語を学んでいたが、デカルト哲学などに心酔するあまり旧約聖書の教えを批判するところとなり、ユダヤ教会(シナゴーグ)を破門される。破門は、ユダヤ人社会からの追放を意味した。このとき、名前をヘブライ語のバルーフ(「祝福されし者」の意味)から同じ意味のラテン語ベネディクトに変える。ドイツ最古の大学であるハイデルベルクからの招聘を辞退し、当時の高度専門技術を要したレンズ磨き職人として生計を立て、質素な屋根裏部屋で生涯を自由で孤独な思索に費やした。生前に『神学政治論』のみが匿名で出版された。主著『(幾何学的な証明の方法による)エチカ(=倫理学)』は、彼の死後にようやく出版されたが、100年ほどは顧みられなかった。18世紀後半からシェリングなどドイツ・ロマン派の知識人達が彼の「自然の神格化」に注目し、彼らの守護神のようにみなした。「神に酔える哲学者」「ヨーロッパ最大級の形而上学体系を創設した」という賛辞がある。近年、ドゥルーズによる再読解で注目されている。
(1) 神即自然
この考え方は、神を神が生み出した世界から超越した存在と考えるユダヤ教やキリスト教からは、異端視されることになった。
(2) 一切のものを生じさせる無限の属性
よって、スピノザの言う神は、アリストテレスの「不動の動者」のような「同一性の神」ではなく、「差異の神」であるということができる。
(3) 様態(mode)
ドゥルーズは、様態間の差異を、特異性、此性・このもの性という言葉で指し示した。従来の哲学は、個物のこのような「この世に一つだけ」という側面を見逃し、同類全体の中の個別事例といった水準で捉えていたに過ぎなかった。
(4) 意志
近代哲学では、人間は知覚や認識の領域を超えて、「自由意志」を働かせ決定することが出来ると考える。論理的には、この世界が偶然によって動いている世界であるならば、自由意志に依拠していくことが正しいということになる。
(5) 精神が…よい/わるい
ここで言う「よい・わるい」はニーチェが『善悪の彼岸』で想定したような道徳を超えた「よい・わるい」である。
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